「それにね、僕はライオンの独り善がりな歌じゃないと思うんですよ?」
ゆらゆらと揺れながら立ち上っていく煙を見るともなく眺めていたら、おんなじように、でも嬉しそうに煙を追っていた八戒の視線が再び悟浄に返ってきた。
「なんで?何にも言わないタンポポに、ライオンが親近感持つ歌なんだろ?」
それとも又聞きの自分が知らない部分が、まだあったんだろうか。そう思って目の前の青年の方を見たら、にこにこと嬉しそうに笑っている。
「だって、タンポポは頷いたんですよ?」
「は?」
それは、風が吹いたから。吹きぬけた風が、もの言わぬタンポポの首を揺らせる。それを見たライオンは、自分を恐れぬタンポポに親近感を持つ。そんな歌。
「だからそれは」
「風が吹いたから?」
悟浄の台詞を次いだ八戒の言葉に、悟浄は頷く。八戒は、自分よりもはるかに頭のいい筈の青年は、まさかタンポポが自分の意志を持って自分で頷いたとでも言いたいのだろうか。
「悟浄って、案外夢のない事言いますね」
すっぱりとした八戒の台詞に、悟浄の意外に繊細な心はちょっぴり傷ついた。意地になって引きつりながら笑顔を浮かべて、八戒の足を掬うべく会話を続ける。
「じゃあ八戒さんは、タンポポが自分の意思で頷いたって言いたい訳ね。うーん、メルヒェン?」
「言いませんよ。タンポポが自分で動けたら、毎日通ってるライオンが気付かないはずありませんから」
口で八戒に敵う筈がないのだ、悟浄が。しかしこの八戒の理論は悟浄には大分理解不能で、素直に「降参」というように両手を上げた。その悟浄の仕草に八戒は少し笑って、少し考えるような表情で笑いを収める。
「僕は、なんて幸せな歌なんだろうって思ったんですよ」
心優しい寂しいライオン。
橋の向こう側、ひとつ寂しげに揺れるタンポポ。
「動けないタンポポこそ、寂しかったんじゃないかと思ったんです」
自分に語りかけてくれたライオンに、タンポポの心にはどれだけたくさんの喜びが溢れた事だろう。そして動けない自分には、嬉しい心をライオンに伝える手段がない。伝えたくて。自分の心の内の、喜びを。嬉しさを。感謝を。愛しさを。すべての、思いを。このままでは去っていき、二度と自分に見向きもしないであろうライオンに。
タンポポは、願って願って。そして、風が吹く。風はタンポポを揺らし、ライオンは毎日タンポポを訪ねてくる・・・
「なんて深いつながりのある1匹と一輪だろうって。だからこそ、別離が余計悲しくなっちゃうんですけどね」
「まあ・・・そうかもな・・・」
「きっと、タンポポこそが、ライオンのようになりたかったんだと思いますよ」
心優しい、金色の獣。自分もライオンであれば、一緒に草原を駆け抜けたであろうに。
タンポポは、もうすっかり金色ではなくなってしまった綿毛を飛ばす。焦がれ続けたライオンの元へと。
「それは、タンポポとライオンにとって幸せな結末だったんでしょうか」
すっかりしゅんとしてしまった八戒に、悟浄はかける言葉を探した。上辺の言葉をかける事はできるが、ここまでライオンとタンポポに感情移入してしまっている八戒を慰める事なんかできやしない。ライオンとタンポポ。今までろくに聞きもしなかった曲に出てくる、1匹と1輪の事を考えてみる。寂しいライオン。寂しいタンポポ。あ。
「それってさ、タンポポは別にライオンになりたかった訳じゃないだろ?タンポポは、ライオンと一緒にいたかっただけだろ?ならずっと一緒にいられるようになってはっぴー、なんてどうよ」
多少無理があるような気がする。でもじっと悟浄の瞳を見つめる八戒の翠の瞳に、やがて緩やかな微笑が現れた。
「そうですね」
一応、合格をもらえたらしい。悟浄はほっとして、片手に持ったままだった煙草を唇に運んだ。
「僕、洗濯物取り込んできますね」
「おー」
悠然と煙草を吹かす悟浄を部屋に残して部屋を出て行く八戒の唇に、悟浄には見えない微笑が浮かぶ。
優しいライオン。優しい悟浄。最後の悟浄の台詞はちょっと的を外れていたような気はするが、悟浄が必死で自分を慰めようとしてくれていたのは分かる。
――ベタかもしれないですけどね。
悟浄にライオンを重ねたように、タンポポが自分自身に思える。ライオンに憧れて、ライオンになりたいと思うタンポポ。ライオンと共にありたいと願うタンポポ。
タンポポは崖の下で、ライオンに会えたのだろうか。ライオンとタンポポは、幸せになれたんだろうか。
なれたと、思いたい。
タンポポがライオンに溢れる喜びをもらったように、自分は悟浄からこんなに暖かい気持ちをもらったから。自分達に重ねた1匹と1輪にも、同じ幸せを感じてもらいたい。
「――いいお天気ですねぇ」
抜けるような青空を、顔の前に手を翳して見上げる。風が、渡る。
洗濯物に向かう八戒の唇から、何度も繰り返して歌った歌が自然に零れ出してきた。
幸せに、幸せに。
願うのは、そのひとつだけ。 |