[PR] この広告は3ヶ月以上更新がないため表示されています。
ホームページを更新後24時間以内に表示されなくなります。

   笑わないで
     By.ケイさま(妖孤堂)
そんな顔をするものじゃないよ」
 いつもの嫌味たらしい薄笑いではなく、上官として見下す声音でもなく、実験動物を観察するような突き放した眼差しでもなく、ロイ=マスタングは静かにエドワード=エルリックに声をかけた。
 悔しくて悲しくて情けなくて腹立たしくて、もうどうすればいいのか解らずに子供のように ―― 彼はまだ間違いなく子供と言える年齢なのだが、子供であることを自分に許してはいなかった ―― 駄々をこね地団駄を踏み暴れて八つ当たりをして……そんなことをしたくてもできないエドワードは、身体の横で生身の左腕と鋼の右腕の拳をぐっと握り締めていた。全身にこれ以上ないほど力を入れ、棘を逆立てたハリネズミのように警戒して、黄金の瞳で床を睨みつける。
「鋼の」
「…べつに、俺はいっつもこんな顔だし」
 気づかぬうちに俯きそうになっていた顔をあげ、エドワードは皮肉っぽく笑った。
 大きな執務机の上に両肘をついて手を組み、その上に顎を乗せたロイの漆黒の双眸が、エドワードの瞳に真っ直ぐに向かってくる。いつもは耐えられるソレがどうしても我慢できず、エドワードはふいと顔ごと視線をそらした。
「鋼の」
「これ以上聞くことないなら、俺、アルが待ってるから」
「鋼の」
 椅子を引く音がして、軍靴の靴音が数歩、エドワードの前までやってくる。
 発火布に覆われていることが多いためかひどく白く、けれど軍人らしく骨ばった手が、すい、と、エドワードに伸びた。視界に入ったそれにエドワードが後じ去るよりも早く、その手はエドワードの頭に柔らかに触れた。
「っ!」
「だから、そんな顔をするものじゃないと言っているだろう? あんまり君がしおらしいと、こちらの調子が狂ってしまう」
 くしゃ、と、優しい音を立てて大きな掌がエドワードの前髪を掴み、さらさらと梳くように長い指をその髪の間にロイはくぐらせた。
 温かな掌が小さな頭を撫でる。
 むずかる子供をなだめるように、優しく、何度も。
「君は人よりも頑張らなくてはいけない。でも、たまには頑張り過ぎない時があってもいいんじゃないかな?」
 遥か高い位置から、聞いた事のない優しい声が振ってきた。
 いつもの計算高さや人をバカにしたような響きは、その声のどこにもなかった。
 ひどく素直に、その声と手の温度はエドワードの中に入ってきた。
 彼にもそんな体温があり、そんな声が出せるのだと、小さくない驚きを持ってエドワードは顔をあげた。 目が合うと、「ん?」とロイが首を傾げる。真っ黒な瞳は、底の知れない闇ではなく、見えないけれど小さな光を幾つもその中に湛えた夜のようだった。


 彼にも、そんな顔ができるのだ、と。
 彼もそんな表情をするのだと。
 はじめて知った日。


 ただもう自分達のことに夢中で必死で、倍ほどに年の離れた青年の冷ややかな眼差しや言葉を額面通りに受け取っていた。
 冷たすぎるほどに冷たく容赦の無い事務的な軍人のそれは、彼が自分達をちゃんと対等に見てくれているからこそで、下手な優しさや気遣いは逆に自分達への侮りになると彼が知っているからで、嫌味や意地悪な言葉は不器用な彼の愛情表現だったりからかいだったり、物凄く捻くれて解り辛い叱責で励ましだったり、そんなことに気がつくのに少々時間を要してしまった。
 人に原初の恐怖を抱かせる闇に似た漆黒の瞳や血が通ってなさそうな真っ白な肌の冷たい印象も手伝って、彼は複雑怪奇で権力志向の奇人変人極悪人だと思っていたから、そんな男に人並な感情があるとは思っていなかった。
 本当はとても寂しい、優しい人だったのだけれど。
「鋼の、お茶でもどうかね?一服しなさい」
 言葉尻は命令なのに、語尾の響きが優しい。大きな掌がエドワードの頭から離れる。
「ヤローと茶ぁして、なにが楽しいんだよ」
 大袈裟に唇を歪めて挑むようにエドワードが答えると、ロイは真っ黒な瞳をまたたかせてからくすりと笑った。
「それでこそ、鋼のだ」





 青い軍服に包まれた背中が、エドワードに見える全てだ。
 ガラス窓の向こうに雨が降っている。
「大佐」
 二人きりの執務室。
 傷を負ったイシュヴァールの復讐者の出現は、少なからず東方司令部に混乱と迷惑をもたらした。イシュヴァール内乱の影響が残る東部は、他に比べて治安が悪かった地域だ。軍と民間人の折り合いも悪かったのを、ロイがここまで回復させたと言っても過言ではない。
 無能なサボリ常習犯は、護衛の部下達を呆れさせ怒らせながら民間に溶け込む努力を怠らなかった。お陰で、少なくともイーストシティとその周辺の民と軍の関係は他所より良好になっている。
 それなのに。
「大佐」
「今日は疲れただろう。早く休みなさい」
「大佐」
「君はイヤだろうが、護衛は必要だ。今日は軍の宿泊施設に泊まってもらう」
「大佐」
「明日も早い」
「大佐っ!」
 大きな執務机の向こうで窓の外を向く人が見せる背中は、こそとも揺らがない。
 エドワードの呼びかけに振り返らない。
「アームストロング少佐は優秀だ。君たちをちゃんとリゼンブールへ送り届ける」
「そうじゃねーよっ」
 とうとう我慢できなくなって、エドワードは自分達の間を隔てている執務机を回り込んだ。白く霞む屋外のもっと遠い場所へ視線を飛ばしているロイの腕を、生身の左手で強く掴む。
「…他になにか、問題があったかな?」
 ゆっくりとロイが振り返った。薄い唇には常にそこを彩っているのと同じどこか皮肉げな微笑が刻まれている。
「あんた…」
 それに、何故だかエドワードは絶句した。そしてその次の瞬間に、激情と名付けられるのに似た怒りをエドワードは覚えた。
 悔しい。
 ひどく悔しくて、悲しい。
 この大人は、エドワードを今、子供と見ているのだ。
 子供と見ているから、そんなふうに薄く笑って、それ以外のいっさいの感情を見せないのだ。その胸の内側にある苦痛も悲嘆も嫌悪も、なにも彼は見せはしない。
「そんな顔すんなバカッ」
 掴んだロイの腕を乱暴に離し、続けざまに片側しかない手でエドワードは彼の胸を強く突いた。
 突然のことに、ロイの上体が揺れ、彼はその場で数歩たたらを踏んだ。
「鋼の?」
 首を傾げながらも白い顔は微笑んでいる。
 いっそその横面を殴りつけて微笑みの形を壊してやりたいとエドワードは思ったが、そんな表面ばかりの形を変えても意味がないことを聡い彼は重々理解していた。
 押し倒すつもりで、エドワードは長身に小さな体をぶつけた。ついでに足をひっかける。
 ぶつかられた身体を受け止めることばかりを考えていたらしい迂闊な軍人は、エドワードの肩に両の掌を当てて自身に向けられた重みを支えたが、足元にはまるで気を遣っていなかったらしく目を丸くしながらどすんと床に尻餅をついた。
「……あいたた。何を考えているんだ、君は」
 微笑がしかめ面に変わる。それに、エドワードは一瞬だけホッとしたが、それも本当に須臾の時間で、白い面を再び彩った苦笑に今度はエドワードの方が顔をしかめることになった。
「積極的なのは嬉しいんだけどね」
「どーゆー意味だよ、それ」
「大人を挑発しないようにしなさい。今の状況は、ある意味非常に刺激的な体勢だ」
 ロイの膝を跨いで馬乗りに座ったエドワードは、彼が何を指してそう言っているのか理解できなかった。ただ、彼がその言葉で自分を挑発している ―― 怒らせて気をそらそうとしていることは理解した。
「誤魔化そうったってムダだぞ」
「誤魔化すなんてとんでもない。さ、退きなさい。襲われたくはないだろう?」
「別にあんたならいいよ、俺」
 それは、衒いのないエドワードの本心だった。
「……面白くない冗談だ」
 自分で振っておいて、その上で面白くないと言いながら、ロイはくすくすと笑った。
 エドワードをあしらう微笑みだった。
 両手を背中の後ろの床に着き身体を支えるロイの襟にエドワードは左手を伸ばした。自動機械の右腕がないので身体のバランスが非常に悪いが、軍服の襟を掴んで引き寄せたロイは不思議そうにするだけでエドワードに逆らわなかった。
 子供の駄々と思っているのだろう。
「そんな顔するな」
 数年前にロイに言われた言葉をエドワードは口にした。
「そんな顔するな。無理して笑うな。無能のくせに」
「……傷つくなぁ…」
 囁きながら、それでも彼は柔らかく笑う。
 いつもより優しく、笑う。
「そんな顔するなっつってるだろーがっ、バカ無能っ!」
 掴んだ襟を、エドワードは強く引き寄せた。
 ロイの頭がエドワードの肩口に当たる。
 黒髪が、エドワードの耳元をくすぐった。雨の匂いと、大人の男性だけが持つ独特の香 ―― 整髪剤やシェーブローションや香水の混ざった落ち着いた香がふわりとエドワードを包んだ。
「君にバカ呼ばわりされるのは納得できないぞ」
「笑うなバカ」
「だからね、鋼の」
「うるさい」
「………今日はいったいどうしたんだい?」
 肩に当たった頭が、ゆっくりと上がった。エドワードがロイの膝に乗っているため、いつもよりもずっと近い視線が柔らかくエドワードの双眸を見つめた。
 ふわりと笑うロイの細い眉が、困ったように寄せられた。
「そんな顔をするものじゃないよ」
「それは俺の台詞だ」
「だって、今の君はとても痛そうな顔をしている」
「してねぇ。もししてるとしたら、それはあんたがバカだからだ」
「私のせいなのかい?」
「そう。あんたがそんな顔してるから」
「鋼の……」
 くしゃり、と、胸の内側で、紙を握り締めたように小さく悲しい音を聞いたとエドワードは思った。
 バカな大人が笑う。
 いつもの冷笑の欠片もなく、ロイが笑う。
 優しく、嬉しげに、でもどこか寂しい顔で笑う。
「…私が君に、そんな顔をさせているのかい…?」
「笑うなバカ」
「君は、私の為にそんな顔をしてくれるのかい?」
「あんた人の話ちゃんと聞いてるか?」
「なぁ鋼の。私は大丈夫なんだよ」
「アホウ」
「本当に、大丈夫なんだよ。だから、そんな顔をしないでくれ」
 雨が降っても、誰かを失っても、焔で焼き殺した過去に責められても、全然まったくこれっぽっちも私は揺るがないよと、ロイが笑う。
 笑う。
 エドワードはロイの襟から手を放した。そして、その手をそのまま黒い髪の間に差し入れた。
 昔、一度だけ彼がエドワードにしたように、その黒髪をそっと梳く。
「そんな顔するな」
「この顔は生まれつきなんだが…」
 困ったとロイが苦笑する。それでも、エドワードの小さな手の感触が心地良いのか、彼はその手を遠ざけようとはしなかった。
 白い瞼を伏せて微笑む表情は子供の我儘を聞き入れる大人の物で楽しそうですらあるのに、けれどエドワードにはひどく寂しく見えた。
 笑わないで。
 そんな顔で笑わないで。
 いつもの、不敵で、意地悪で、嫌味たらしくて ―― そんな顔をしていて。
 寂しくて優しくて、それなのに決して手の届かない大人にならないで。
 大事にしてやらなくてはいけないと、そんなふうに思わせないで。
 無言で、エドワードはロイの髪を何度も繰り返し梳き、その頭を撫でた。
 そのうち、ふ、と、ロイの唇から溜息が零れた。彼の肩や胸から力が抜ける瞬間をエドワードは見ていた。伏せた睫が持ち上がり、漆黒の瞳がエドワードを真っ直ぐに見つめた。
「―― ありがとう」
「大佐の口からそんな言葉が出るなんて、明日は嵐か」
「君が出発する日に嵐を起こすとは、私もなかなか素晴らしい贈り物ができるようだね。小さいんだから風に飛ばされないようにしたまえよ」
「小さい言うな!!! ―― …嫌味言えるなら上等だな無能大佐」
 イーッと歯を剥いて、エドワードはロイの髪に触れていた手をおろした。そのエドワードの背中に、ロイの両腕が回った。
「お?なに?」
 広い胸に抱き寄せられる。
「いや、ちょっと抱きたかっただけだが?」
「あ、そ」
「………抵抗しないのかね?」
「なんで抵抗しなくちゃいけないわけ?」
「……………」
「大佐?」
「………いや、いい。私は性犯罪者にはなりたくない」
「すでに充分そうなんじゃないの?」
「……泣かすぞコラ、と、今、一瞬思ったよ」
 苦笑いしながら、ロイは抱擁をといた。そのロイの頭を、エドワードは今度は左腕一本で抱きしめた。
「鋼の?」
 小さな肩に白い額を預け、ロイが不思議そうに呼びかける。
「あんたならいいのに」
「………やめなさい。君には似合わない」
 自分から先に仕掛けた男は、仕掛けたくせにエドワードを遠ざける。
「そう言うだろうと思った」
 年齢に不相応の苦い笑みを、エドワードはロイの頭の横で浮かべた。


 笑わないで。
 そんな顔をしないで。
 あなたがそんな顔をしないで済むように、もっと強くなるから。


「そんな顔を、するものじゃないよ」
 肩口で囁かれた声に、エドワードはハッとしてすぐそこにある黒髪を見つめた。
 ロイは白い面をゆっくりと持ち上げて。
 そうして。
 優しくて寂しい大人の顔で笑った。
ケイさまのコメント 山崎のお礼コメント
受け取らされた側の人がとても迷惑な爆弾投下でした。
こんなんでも私的にはロイエド。
いや、ロイエドというよりも、ロイエドロイ…すいません。
エドは受でも男前だと思います。
ロイは攻だと5割増しでヘタレだと思います。
優しくて寂しくて自己完結しちゃってエドを遠ざける性質の悪いロイが攻だと好き。
 ケイさまからの爆弾投下でした。
 ハボロイプッシュのケイさまのロイエドSSですよー!!、ムチャクチャ貴重じゃないですか!!。
 折角ケイさまのサイトに鋼部屋がオープンしたというのに、「ロイ受けのコンテンツなので、ロイエドロイはUPの予定はありません。」などと、勿体無いことを仰るじゃないですか!!。
 うふふふふ。そんなわけでUPの権利を頂きました。幸せだー・・・。このSSをUPしたいが為に、この別室作ったようなものだしなぁ・・・(本気)。
 エドとロイ、お互いがお互いを大切に思い、大切な相手だからこそ、ありのままの姿を見せて欲しい、無理になら笑わないで欲しい。そんな暖かい、2人の関係が大好きです。
 お互いが、しっかりと地面に立って依存し合うわけでなく支え合っている関係っていうのは良いものです。たとえ、それが14歳差の2人であっても!。
 ケイさま、UPのご許可を下さって有難うございました。
 ケイさまのステキサイト「妖孤堂」さまはこちら
壁紙をお借りしましたv>