それはエルリック兄弟がイーストシティに滞在している初夏の出来事。
「そう言えばこの前、エドワード君が可愛い女の子に声を掛けられているのを見ました」
午後の休憩時間。
フュリーの発言に、カップの中身を零しそうになったのはロイ・マスタングだ。
「鋼のが?」
「はい、エドワード君より1、2歳上くらいの女の子だと思うんですけど、道の真ん中で仲良さそうに喋ってましたよ」
邪魔はしなかったんですけどね、お似合いでしたー。
フュリーの言葉に「邪魔をしてくれればよかったものを」と思った男がいることは忘れてしまおう。
事情を知っているハボックは苦笑を零し、ホークアイに至っては顔色ひとつ変えずお茶を飲んでいた。
「そう言えば俺も、エドが中年の男に声を掛けられてるところに出くわしたぞ」
次の発言者はブレダ。
ハボックはぎょっと振り返り、ロイの視線は剣呑なものになる。
「・・・それで?」
ロイの続きを促す問いに、ブレダは異様な空気を感じながらも続けた。
「食事に誘われてたみたいで・・・迷惑そうにしてたんで俺が声を掛けてやったら、相手が逃げていきました」
グッジョブ!
ハボックの心の中の声はおそらくブレダには届いていないだろう。それはそれでいい。
だがロイは不穏なオーラを浮かべながら口を押さえていた。
そして。
「そう言えば私も、街でエドワードさんが綺麗な女性に声を掛けられているのを見ましたが」
(大将・・・お前)
ハボックが心の中で嘆いても仕方ないことだろう。
かの錬金術師が不特定多数の相手から声を掛けられるのはそう珍しいことではなかったりする。
ハボックも口にしていないだけで、自分の部下がエドワードに食事の誘いを掛けていたことを知っていた。それは勿論、部下の命を心配して止めてやったのだが。
だが、自分の上司である少年の恋人にしてみればこの会話は寝耳に水の話だろう。
当然といえば当然なのだ。上司が少年のそばにいるときは彼らに近寄るような人間はいない。
少年が声を掛けられるのは上司がそばにいないときだけであるために、上司はその事実に気付けなかったというわけだ。
「フュリー曹長、この前というのはいつの話?」
唐突に問いを口にしたのはホークアイだ。
「エドワード君たちが前回イーストシティに来たのは2ヶ月以上も前だったと思うけれど」
「いえ、そんなに前の話じゃありません。一昨日だったと思います」
「あ、俺は昨日見ました」
フュリーに続いてブレダが答え、全員の視線がファルマンを見る。
「私が見たのは3日前ですが」
ファルマンの答えにハボックは呆れた笑みを浮かべた。
エドワードがイーストシティに到着したのは3日前。
つまり、イーストシティに滞在を始めてから毎日声を掛けられていることになる。
その時。
「ハボック少尉」
おどろおどろしい声が聞こえ、ハボックは肩を揺らした。
返事をしたくはないが、上司の視線が突き刺さって痛い。
「・・・何っすか?」
「最近イーストシティの治安が悪いと思わないか?」
顔を上げれば上司は極上の笑みを浮かべていた。だがその笑顔の裏には絶対に黒いものが渦巻いている。
(イーストシティの治安が悪いんじゃなくて、ある個人に関すると治安が悪いように見えるんじゃ・・・・)
心の中でそう思っても口に出すことは不可能だ。口に出せばとばっちりがこちらに向く。
「・・・そうっすね」
「見回りに行く。ついて来い」
それはつまり、図書館なり宿なりエドワードのいるだろう場所に行くということで。
「・・・Yes,Sir」
ハボックは力なく笑い、最後の砦であるホークアイに視線を移した。
だが。
「視察に出るのは構いませんが、戻ってきたらきちんと書類を片付けてください」
最後の砦はあっさりとその扉を開け放ってしまい、ハボックはぎょっとする。
そしてロイは唇の端を持ち上げて笑った。
「承知した。行くぞ、ハボック」
「・・・・へーい」
それはつまり、最強の副官もエドワードが毎日ナンパされていると言うことに不安があるということなのだろう。
ハボックは覚悟をつけて、ティータイムの場から立ち上がった。
「ねぇねぇ、お茶しに行こうよー」
「しつこいぞ、てめぇ!」
まさか本当に現場を見ることになるとは思わなかった。
ハボックは冷や汗をたらしながら斜め前に立つ上司を見る。
自分もそうだったのだが、この人もおそらく話に聞いていても毎日少年がナンパされているという話は自分の目で見るまで信じられなかったというのが本音で。
実際、恋人がナンパされる現場を目撃した上司は一体何を思っているのだろう。
「・・・ハボック」
「ハイ・・・・」
予想外に暗い声で名を呼ばれ、ハボックは顔を引きつらせる。
「確かに鋼のは可愛い」
「・・・・はぁ」
いや、こんな場面で惚気られても。
「だが周りから見れば生意気で口が悪い子供だと思わんか?」
「まぁ・・・・大将は見目がいいですからね」
金髪に金瞳という珍しい容姿に整った容貌。かの少年の容姿はいい意味でも悪い意味でも目を惹きやすい。
外見でナンパする相手には「生意気で口が悪い」ことなど二の次の話じゃ・・・?
ハボックのその答えにロイは「そうか」と口を押さえた。
というか、アンタはその「生意気で口が悪い」ところに惚れてるんじゃないのか?
言いたい言葉はたくさんあるが、口に出してはいけないと頭が警告する。
おそらく問い掛ければ帰って来るのは惚気だ。それは勘弁したい。
「口が悪いのも可愛いね、君。ケーキ奢ってあげるからさ、一緒にお茶しようよー」
かの少年をナンパするというある意味勇者である若き身空の青年の近い未来を憂いつつハボックは心の中で十字を切った。
何といっても上司の額に青筋が立ったのを見てしまったのだから仕方ない。
せめてレアで済ませてくれと願う。黒焦げになった時には助けようがないからだ。
「いい加減にしろ、てめぇ!手ぇ放せよ!!」
エドワードの左腕を掴んで喫茶店に連れ込もうとする男に、上司より先に少年がキレた。
右腕を振り上げたのを見て「右手はヤバイって!」とハボックが走り出そうとした瞬間。
ハボックの横でバチッと聞き慣れた音が聞こえた。頬をかすめた火花、そして。
「うわぁあああっ!」
青年の体が一気に燃え上がる。
エドワードは突然の発火現象の元に気付いたのか周りを見回し・・・ロイとハボックを見つけて呆れた顔をした。
ハボックはただ心の中で合掌する。あの火力では機械鎧で殴られた方がマシだったかもしれない。
だが多少の加減はしたのか焔はすぐに消えた。
早足で少年に歩み寄る上司に、少年は呆れた笑みを浮かべる。
「・・・何やってんの、大佐」
「こちらのセリフだな、鋼の」
ロイの顔は引きつっている。相当ショックだったらしい。
ハボックは驚いている見物人に「仕事中ですよー、大丈夫ですよー」と手を振って気にしないように促した。
そうでもしないと自分たちが東方司令部に通報されかねない。そして出て来るのはおそらくホークアイだろう。
・・・・巻き込まれたくはない。
「あのー、お二人とも」
ハボックの声に二人は同時に振り向いた。
そのうちロイの顔は「邪魔をするな」という苛立ちを含んでいるがどうしようもない。
「ひとまず東方司令部に戻りませんかね?中尉も待ってますし」
東方司令部最強の女性の名を出すと、二人はあっさりと同意を示したのだった。
そして数十分後。
「だから危険だから一人で出歩くなと言っているだろう!」
「何処が危険なんだよ!?俺は国家錬金術師だぞ!」
恋人を心配して護衛をつけると主張する上司とその過保護ぶりにキレた少年の間で言い合いが起こったのは当然のことだった。
その頃には避難を完了していたハボックが、「デスクワークの方がマシだ」と呟いたことはホークアイしか知らない。 |