リゼンブールの駅に降りた時から、やけに寒いと思っていた。
「兄さん?」
振り返るアルフォンスはきっと空気の違いなど感じていない。
ただ、不意に感じた予感。
多分雪が降るだろう。
室内に響くのは薪の弾ける音と金属のぶつかる音。
エドワードは窓の外を見つめていた。
空を覆う空は濃い灰色で、今にも落ちてきそうな重い色だ。
「・・・あ」
エドワードの声に、右腕の機械鎧の調整をしていたウィンリィは顔を上げる。
「どうしたの?誰か来た?・・・あ」
ウィンリィもエドワードが声を上げた原因に気付き、弾んだ声を上げる。
空から舞い落ちて来たのは、綿のような雪。
「そう言えばラジオで言ってたもんね。東部一帯にこの冬一番の寒波があるから、初雪が降るかもしれないって」
「へぇ。初雪なのか」
ウィンリィの言葉にエドワードはもう一度窓の向こうを見る。
地面に落ちて解ける雪。そのうち白が地面を多い尽くして、草原は雪原へと変わる。
道も消え、緑も消え、ただ建物と人の足跡が残る世界になるだろう。
(そういえば去年は・・・・)
エドワードは1年前のことを思い出し、柔らかく目を細めた。
「どうぞ」
ホークアイから差し出されたコーヒーにロイは顔を上げる。
「ああ、ありがとう。丁度温かいものが欲しかったんだ」
「今日は寒いですから」
司令部内の各部屋に設置されている石炭ストーブも外の寒さに追いついていないらしく、室内はいつもより肌寒かった。
「東部一帯で初雪が降るかもしれないという話ですから、外に出掛けるのはおやめ下さい」
「こんな寒い日に外に出るほど私は物好きではないつもりだがね」
ホークアイの言葉にロイは首を竦める。
だがホークアイは呆れたようにため息をついた。
「そう言いながら、確か去年は出掛けてしまわれたと記憶していますが?」
「・・・・そうだったかな」
コーヒーを口に含み、ロイは視線を窓の外に向ける。
そして窓の外に舞うものを見つけてロイは微笑んだ。
「降り出したようだ」
「本当ですね」
ホークアイも目元を緩くする。
「・・・せめて屋根のあるところにいればいいんですけど」
ホークアイの呟きに、ロイは彼女と同様に彼のことを思い出した。
そう、去年は初雪の日にあの少年がそばにいた。
◇ ◆ ◇
「さっむー!」
自分の両腕を抱いて、エドワードは叫んだ。
「何でこんな寒い日に外に出ることを思いつくんだよ、アンタは!」
「子供の方が体温が高くて大丈夫だと思ったが、そうでもないみたいだな」
「うっさい、黙れ!」
寒さのせいか人通りの少ない大通り。
先を歩く少年は背を丸めて猫のようだ。
ロイは苦笑する。
「寒い寒いと思うから寒いのだよ、鋼の」
「うるせぇっての・・・」
そう言ったエドワードの左手が右肩をさすったのを見てロイはやっと気付いた。
そうだ、少年の手足は。
「鋼の」
早足で少年に追いつき、後ろからその肩を抱きこむ。
エドワードは苦い顔で暴れたが、周りに人がいないことに気付くと諦めたように脱力した。
「・・・離せよ、平気だし」
「すまない、気付かなかった。司令部に戻るか?」
「ここまで出て来たんだし、さっさと目的地に行こうぜ」
「大丈夫か?」
「1時間ぐらいは出歩いても平気だって。ずっと旅してるんだし、北部にいたこともあるんだぜ?」
その答えにロイは微笑んで自分のコートを広げてエドワードを包み込んだ。
それにエドワードが慌てる。
「お、おい」
「誰も気にしないさ。これだけ寒いんだ、子供の甘えだとみんな判断する」
「っ・・・今だけだからな!」
頬を染めて。視線を逸らして。
そんな可愛い仕種を零す少年にロイは微笑んだ。
ロイがエドワードを連れて行ったのはイーストシティを見下ろせる高台。
「うっわ、絶景!」
「だろう?」
エドワードはロイのコートから飛び出して、張られた柵のもとまで走る。
イーストシティを見下ろすことが出来るということは、有事の際の作戦基地にもなりうるということ。
だがそれは同時に、イーストシティ全体の景色が望める絶景地と言うことだ。
エドワードは白い息を吐いてその町並みを見下ろす。
色取り取りの屋根。道路を走る車。堅牢な東方司令部。
「まだみんな仕事してんだろうな」
「思い出させないでくれ・・・・」
自分の背後で落ち込んだ声を出す情けない大人。
エドワードは笑いを零し、そして小さく顔をしかめた。
右肩と左足。じわじわと伝わる冷たさは、刺すような痛みとなって自分を襲う。
熱伝導が早い機械鎧。接続部から急速に体温を奪い、それが体に痛みを与えるのは知っていたことだ。
「・・・寒いか?」
そう言ってエドワードの右手を取ったのはロイ。
隣に並び、ロイはエドワードの機械鎧の手を手袋越しに握った。
「・・・予想以上に冷たいな。寒いだろう」
「いつものコトだって。アンタは気にしすぎ」
そう言って苦く笑うエドワードの体をロイは引き寄せる。
「気にもするさ。大切な人の体だ」
きつく抱きしめられた体。触れ合ったところから伝わる熱に、エドワードは顔を赤くする。
「ちょっ・・・!」
「私は君の右腕と左足が機械鎧であることは“知っていた”。だが、その機械鎧がこの寒さで君にどんな影響を与えることまでは“知らない”・・・・“わからない”んだ」
言ってくれなくてはわからないよ?
耳元で囁かれる声。
エドワードは困ったように眉を寄せ、そして小さく吐息をついた。
「鋼の?」
生身の左手と機械鎧の右手。自分の二つの手を伸ばして相手の背に回す。
ギュッと抱きしめると服越しに触れ合ったところの体温がわかる。機械鎧の腕では感じ取れないけれど、それでも相手の体が温かいことは知っているから。
「こうしてれば大丈夫だよ」
エドワードはそう呟いて目を閉じた。
「こうしてればあったかいから大丈夫だ」
エドワードの言葉にロイは目を見張り、そして柔らかく微笑んだ。
「そうだな。私も君とこうしていれば温かい。身も心もね」
「こころ・・・っ」
気障な言葉にエドワードは反論しようと顔を上げ、そしてぽかんとした顔で固まった。
ロイはそれに気付き、自分も顔を上げる。そして唇の端に笑みを刻んだ。
「これはこれは・・・」
「すげぇ。これも演出のうち?」
「そうであれば胸を張れるがね。残念ながら偶然だ」
自分たちの周りに、そしてイーストシティに。
ゆっくりと舞い落ちる白い花。それは雪。
「初雪とは最高のシチュエーションだな」
「へぇ、初雪なんだ」
まるで絵の具の白色を落としていくように、世界を白に染め上げていく雪。
それは一枚の絵画のようで、エドワードは目を惹かれていた。
「寒くなってきた。戻ろうか」
ロイの言葉にエドワードは自分を抱きしめている男を見る。
「司令部に?」
「私の家の方が近い。すぐに温まりたいだろう?」
「オイオイ、仕事は?」
「今日は早退だ。君が風邪を引くほうが問題だからな」
そう言ってエドワードの肩を抱き、エスコートするように歩き出すロイ。
さすが女たらしとは思ったが、口に出すことはせずエドワードは首を竦めた。
(十分温かかったけどな)
寒い中、人の体温がこれほどに温かいということをエドワード初めて知った。
◇ ◆ ◇
「彼らは今どこにいるのかな?」
「エドワード君たちですか?」
ロイの不意の呟きにホークアイは問い返す。
ロイが頷くと「確か・・・」とホークアイはファイルの報告書をめくった。
「東部に入った確認は取れています。どこに行っているのかまではわかりませんが、近くにはいると思いますよ」
「そうか。では近々寄ってくれるかな」
ロイは雪を見つめながら微笑む。
彼が来たら、きっとまた「寒い」とぼやくのだろう。
そうしたらまた抱きしめて温めてやろう。人のぬくもりを忘れかけた少年にそれを教えて。
そして機械鎧の冷たさを忘れた自分は彼の右手に触れて思い出す。彼を守っている腕がどれだけ冷たくなるものかを。
さて、何を用意しておこうか?
「調整完了!」
ウィンリィの言葉にエドワードは右手を動かす。
金属音を立てながらもきちんと動く自分の右手。
「良好。サンキューな」
「ちゃんとメンテナンス代貰うわよー」
工具をしまいながらウィンリィは笑ってそう言って。
エドワードがしっかり者の幼馴染に苦笑した時、アルフォンスがトレイにお茶を持って部屋に入ってきた。
「あ、終わったんだ」
「おう」
服に腕を通し、エドワードは頷く。
ウィンリィも一度片づけを休んでお茶を置いたテーブルに近付いた。
「それでアンタたちはこれからどうするの?」
「どうしようか、兄さん」
アルフォンスの問いに。
エドワードは外を見た。休みなく雪が降る景色。きっとイーストシティも降っているだろう。
「一度戻るか、イーストシティに」
雪が降っていて若干無能になっている男を馬鹿にして。
運動不足だろう軍人たちを雪合戦の餌食にして。
そして。
あの男は機械鎧の右腕に触れ、その冷たさに微笑むのだろう。
(別にアンタの体温が恋しいわけじゃないからな?)
心の中で言い訳して。
「東方司令部に奇襲をかけてやろうぜ」
「奇襲って兄さん・・・」
まぁいいけどね。
呆れた声で自分の提案に乗ってくれる弟に甘えて。
さぁ、アンタに会いに行こう。
離れた場所に降る雪。
だが同じ雪を見て、相手のことを考えているとは互いに思っていないこと。
彼らの再会までもう少し。 |