セントラルシティ、ヒューズ邸。
夕食も終え、グレイシアとエリシアは睡眠のために寝室に下がり、アルフォンスも与えられた部屋に下がった後のこと。
エドワードはリビングのテーブルにドンと乗せられた酒瓶を見て眉を寄せた。
「まぁ飲め」
「・・・は?」
目の前でにっと笑うのは親馬鹿中佐ことマース・ヒューズ。
「俺はよ、男の子が生まれて育ったら、一緒に酒を飲むのが夢だったんだよ。つーわけで飲め!」
「中佐・・・俺、未成年なんだけど」
ヒューズの言葉にエドワードは答え、そして酒瓶を見て顔をしかめる。
(げ、ラムじゃねぇか)
しかも氷も用意していないところを見るとストレートで飲む気だ。
未成年を急性アルコール中毒で殺す気か、と言いたい。
「ケチくさいこと言うなよ!俺がお前ぐらいの年齢のときは飲んでたぜ?」
「や、いくらなんでも限界があるだろ」
エドワードはどちらかといえば酒に強い。
未成年をいじめようと東方司令部のメンバーが歓迎会にかこつけてエドワードにワインを飲ませたが、一瓶飲ませても平然としていたことからそれ以来酒は勧められなくなった。
元々研究に行き詰った時などにコップ一杯のワインに頼れば頭の回転が良くなったりと、そんなことに利用していたので建前では嫌がっても頑なに拒むつもりはないが。
(いや・・・でも未成年にラムはないよなぁ)
エドワードの瞳の色より色の濃いゴールド・ラム。ヒューズの好みそうな酒だと思う。
だがアルコール度数は高い。一口飲んで目を回すような酒はエドワードも勘弁だった。
「仕方ねぇなぁ。実はお前用にこんな酒も用意したんだが」
そう言ってヒューズが背後から取り出したのはエドワードのコートのような真っ赤なワイン。
それが普通のワインではないことに気付いてエドワードは軽く目を見開いた。
「何それ?」
初めて見るその色に、エドワードは興味深く覗き込んだ。
「フルーツワインだよ。お前でも飲めそうな奴で甘口のを探したらストロベリーのワインを勧められてよ。ジュースみたいに甘いらしいぜ」
「へぇ。フルーツワイン」
ヒューズの手から渡されたその瓶を手に取り、エドワードはその赤い液体を覗き込む。
血のように赤いのに向こうが透けて見える液体は、どこか綺麗だった。
「ジュースみたいだけど飲みすぎんなよ」
エドワードがすっかり飲む気になっていることを見破って、ヒューズは笑う。
エドワードも笑って、ワインの封を切った。
舌に残るのは濃厚な甘さ。
それは酒の味など微塵も感じさせないストロベリーワインだった。
「何これ、すっげぇ飲みやすい」
「当たり前だろ、ジュースみたいなものなんだからよ」
どんな酒にも独特な風味が口に残りやすいが、酒の風味を味わうことを目的としないエドワードにしてみればのどの通りがいい。
これで酔えるのなら簡単なものだ。
「うわ、甘い」
そう言ってコクコクとワインを飲み干すエドワードに、ヒューズは笑う。
「ジュースに見えてアルコール度数は高いらしいぞ。飲みすぎるなよ」
「わかってる」
2杯目を自分で注ぎながら、エドワードはご満悦な表情で答えた。
どうやらこのワインがすっかり気に入ったらしい。
(ロイに教えてやったら喜ぶかな)
この少年にすっかり惚れこんでいる親友は、今までの女誑しぶりも役に立たないほどこの少年に振り回されている。
どうすれば喜んでもらえるのかに戸惑い、一々自分に電話をかけてくるのもご愛嬌だ。
普通の子供とは違いすぎて扱いづらい少年のひとつのお気に入りを見つけたと言えば、ロイは嬉々としてこのワインを用意するだろう。
その様子を想像し、ヒューズが笑いを零すとエドワードが不審そうにヒューズを見た。
「何ニヤニヤ笑ってんの?」
見透かされそうな金色の瞳に、ヒューズは目を細めた。
「いやー、夢が叶ったなぁってよ。エリシアちゃんも可愛いが、お前さんみたいな男の子もいいなぁ。一緒に酒が飲めるってのはいい気分だ」
その言葉にエドワードは軽く頬を染める。
「おだてたって何も出ねぇぞ」
その様子にヒューズは心の中で優しい笑みを零した。
父親との関係が希薄なエドワード。自分が代わりになれるのなら、父親の存在を味あわせてやりたいと思うのだ。
その願いが傲慢でなければ良いのだが。
「それに、まだ諦めるのは早いだろ」
エドワードの言葉にヒューズはまばたきをする。
「何がだ?」
「子供だよ。エリシアの弟が出来てもまだ全然おかしくないだろって意味」
エドワードが真剣にそんなことを言うので、ヒューズは我慢出来ずにエドワードに手を伸ばした。
そしてその頭をぐしゃぐしゃとかき回す。
「わ・・・!何だよ!?」
「いやー、可愛いなって思ってよ」
「可愛い!?」
「大丈夫だぞ、エド。今後子供が増えてもお父さんはお前を愛してるからな!」
「誰がお父さんだー!?」
「こら、エリシアちゃんがもう寝てるから静かにしろよ」
ヒューズの言葉にエドワードはぐっと言葉を飲み込み、そしてワインを一口で呷った。
翌朝、グレイシアはリビングに顔を出した「あら」と声を上げた。
そして自然と笑みを零し、毛布を用意して再び笑いを零した。
今日は夫の仕事も休みだ。少しぐらい寝坊をしてもいいだろう。
その時。
玄関から聞こえた来客を伝える鐘にグレイシアは身を翻した。
「はい、どちら様?」
こんな朝早くからの客は珍しいと思いながらドアを開けると、そこにいるのはよく知っている人物だった。
グレイシアの顔に再び微笑が浮かぶ。
「お久しぶりね」
「お久しぶりです、ミセス・グレイシア。鋼のが・・・エドワード・エルリックがこちらに来ていると伺ったのですが」
そう言ったのは東方司令部に籍を置く黒髪の青年将校。
夜行列車でセントラルに来てどこかで夜が明けるのを待っていたのか、それとも朝一の列車で到着して軍法会議所で話を聞いたのか。
どちらにしろ朝早くに訪ねて来るほど金色の少年のことが気になっているのは間違いなさそうだ。
「ええ、来ているわ。可愛らしいことになっているのよ」
「可愛らしいこと?」
グレイシアが唇に人差し指を当て、リビングへと歩き出す。
ロイはそれに先導されるようにリビングへと足を踏み入れ、そしてソファーの向こうに回りこんだグレイシアを追って視線を動かした。
そしてその光景にロイは何とも言えない感情を味わうことになる。
ソファーに仰向けで寝ているのは親友のヒューズ。大口を開け、眼鏡もはずさずに寝息を立てている。
そしてヒューズの胸の上、体を丸めてすぅすぅと寝息を立てているのはロイの愛するエドワード・エルリックだった。
警戒心なく寝ているその姿は正直言って可愛い。可愛いが。
ロイは手に発火布を嵌めた。
「ミセス・グレイシア、少々熱くなりますので離れて頂けますか?」
「まぁ」
自分の腕の中で眠ることを「暑苦しい」とか「ウザい」とか言う恋人が他の男の腕の中で眠っていることを許せるはずがない。
ソファーの前のテーブルに酒瓶が置いてあることから酔ったまま寝てしまったのはわかるが、ひとつの毛布を共有しているその姿も嫉妬を掻き立てるのだから仕方ない。
さて、どうやってヒューズだけを燃やそうか。
ロイがそれを悩む中、エドワードが「ん」と眉を寄せた。
ロイの殺気に気付いたのか、それとも周りの人の気配に気付いたのか。エドワードは瞼を持ち上げて周りに剣呑な視線を走らせる。そして・・・。
「グレイシアさん・・・と大佐・・・?」
「鋼の、今すぐヒューズから離れたまえ」
「中佐?」
エドワードは頭に疑問符を浮かべながらゆっくり体を起こす。背から毛布が滑り落ちた。
昨夜の記憶はきちんと残っているが、どうしてここにロイがいるのかわからない。
ぼんやりとエドワードがロイを見ていると、その視線を勘違いしたのかロイは発火布を嵌めたままの手でエドワードを抱きしめた。
「会いたかったよ、鋼の。元気そうで何よりだ」
「ん・・・眠い・・・」
いつまで酒を飲んでいたのかは知らないが、エドワードの瞼は今にも閉じてしまいそうだ。
それに気付いてロイはエドワードの体を抱き上げた。
「ミセス・グレイシア。鋼のを部屋で寝かせても?」
「ええ、勿論。いつもの客間よ、隣にはアルフォンス君がいるわ」
「では私もしばらく一緒に休ませてもらおうと思います」
「ええ、ごゆっくり」
グレイシアの微笑みに見送られてロイはエドワードを抱いたままリビングを出ようとして歩みを止めた。
そして振り返って指を鳴らす。次の瞬間。
「うわっちゃあ!!」
毛布が発火するという最悪な目覚めを味わったヒューズであった。
昼過ぎ顔を再び顔を合わせた大人たちは大人気ない言い合いをしていたというが、それはまた別のお話。 |