「悟浄!、空き缶を灰皿代わりに使うのはやめてくださいって何度も言っているでしょう?!」
昼下がり。沙家のリビングに、嗜めるような呆れたような八戒の声が響いた。一方窘められた方の悟浄は、ソファにごろんと寝そべっており、大型犬を彷彿とさせる。先ほど、悟浄の部屋の掃除をするから、と八戒に自室を追い出されて、ここで何をするでもなく待機していたのだ。麗らかな昼下がり、ぼんやりと、立ち上る煙草の煙を眺めていた紅い瞳が、そのまま、リビングの入り口に立つ同居人のにこやかな顔に移った。
「だって、その時灰皿に手が届かなかっただもんよ」
「『だもんよ』じゃないでしょう?、いくつですか、貴方」
悟浄の取って付けたような言い訳は、スッパリと切って捨てられた。性格が合わない分、普段はいい具合にバランスの取れた2人だった。お互いも、それなりに良い付き合い方をしていると思っているが、その反動で言い合いになるとどちらも意地になる。八戒は八戒で、片付けるのは自分なのだから、それをやるこっちの身にもなって欲しいと思うし、悟浄のほうは、そんなに文句を言うのなら、やって貰わなくても良いとさえ思ってしまう。
お互い引っ込みがつかず、冷えた空気だけが流れた。
その険悪な雰囲気のまま、悟浄は再びソファに寝そべり、八戒は灰皿と化した空き缶を片手にキッチンへ向かう。数回水道の蛇口をひねる音と共に、缶を振る音が聞こえる。どうやら、缶の中に入った吸殻をかき出しているらしい。
悟浄がゴミの分別ができないのは、世話になったひと月の間にも感じたことだった。しかし、だからと言って分別をする手間を増やすのは勘弁して欲しい。自分が細かすぎる所為もあるだろうが、それ以上に悟浄がスボラすぎるのが悪いのだ、と右手に持った缶を悟浄本人であるかのように必要以上に振り回す。シンク周りが灰色の水分で汚れる。その光景が、益々八戒をイライラとさせた。
ようやく綺麗になった缶を片手に、リビングに戻ってくると、うっそりと、その姿を悟浄がみとめた。
「悟浄。僕は別に煙草を吸うな、とか言っているんじゃないんです。灰皿があるんだから、灰皿を使って欲しいといっているんですよ、分かりますよね?」
「どーせ、そこが空いているんだから、いーじゃねーの」
心の片隅では、悪かったかな?と思わないでもないが、ここまで口煩く言われると、売り言葉に買い言葉で素直になれない。ついつい、憎まれ口を叩いてしまう。
その瞬間。
「・・・・・。悟浄・・・」
困ったような笑顔のまま、八戒の周りの気温だけ5度ほど下がった気がした。
「何だよ」
意地になりすぎて地雷踏んだか?。
「そんなことばっかり言ってると、貴方なんて」
「どーするって言うんだよ?」
心なしか、心拍数が上がる。
「こうです」
ぱき。
右手に持った空き缶を握りつぶした。
そのまま、悟浄にその物体を放り投げる。元空き缶は、緩やかな放物線を描いて、悟浄の腹に落ちた。悟浄は、信じられないといった表情でその投げられたものを凝視する。
「あんまり僕を困らせないで下さいね」
悟浄。それ、燃えないゴミの袋に捨てておいてくださいv。
そう。
昨日使った空き缶は、ホットコーヒーの缶だった。
アルミ缶だったら、悟浄だって片手で簡単に握りつぶせる。だが・・・。
この目の前の缶はスチール缶、しかも細身な190ml。片手でどうこうできるシロモノではない。それを、この細身の青年は、やすやすと片手で握りつぶしてしまったのだ。
げに恐ろしきは、表にすら出さない八戒の怒り。
「・・・カシコマリマシタ・・・」
ぐにゃりと、折れ曲がった空き缶に恐怖の色を浮かべた悟浄の視線が落とされた。 |