NO.20「完敗」
 どうやっても、八戒には勝てない自分がいることに、最近悟浄は気付いてしまった。本来だったら、彼を拾ったのも、彼の人生を左右するほどに強引に引っ張ってきたのも自分なのだから、もうちょっと八戒より優位に立っても良いとは思っているのだが。
 ・・・・・いや。
 最近ではない。
 この旅に出る前から、同居をしていた3年の間から、既に悟浄は八戒に負けっぱなしだったのだ。
 いつの間にやら、家での発言力は追い抜かされ、挙句の果てには、ペットであるはずのジープにまでキックをかまされて叩き起こされる始末。この家の主は俺だっつーの!とキレそうになることも数えられないほどあった。
 だが、こんな思いを八戒に持っているのは、恐らく自分だけではないだろう。そう思って、悟浄は他の二人にも訊いてみた。
「え?八戒?。すごいよな、言うことは的確だし、優しいし、なんたって、作る飯が美味いし!!」
悟空は、既に八戒に懐柔されている。
「・・・・・。勝てると思っているお前ほど、俺はおめでたくない」
遠い目をしながらマルボロの煙を吐く三蔵に、ほんの少し親近感がわいてしまった。
 一方、八戒自身はどう思っているのだろうか?。



 久しぶりに2人部屋になった宿屋の一室。ここ最近の疑問を、悟浄は八戒にぶつけた。
「僕が最強?、この4人の中でですか?」
本気で心外だと言うように、八戒は瞠目する。一体、この白々しいまでの謙遜はどこから来るのだろう?とそっちの方に悟浄は驚いた。
「一体、誰です?、そんなこと言うのは」
「そんなのはどーでも良いじゃん」
まだ言及したさそうな八戒の視線から煙草を探す振りをして目を逸らし、で、どうなのよ?と訊ねてみる。
「何がですか?」
「実は、お前影の支配者は自分だとか思っていない?」
「心外ですね。訊ねられたから、いい機会なので言わせて頂きますけど」
オフレコですよ?と八戒は、細くて長い人差し指を自分の唇の前に持って来た。
「僕は、誰にも勝てないと思います。三蔵の迷いのない真っ直ぐな性格は、僕がいくら逆立ちしても真似できないことですし。悟空の周りを明るくしてくれるキャラクターは、かなり貴重だと思います。実際、この2人がいなければ、今の『猪八戒』である僕は存在しなかったんですから。勝てないですよ」
ハイライトの煙がゆらゆらと昇っていった。
「なんか忘れてない?」
「はい?」
煙草の先で徐々に長くなっている灰を、灰皿に落として、悟浄はちょんちょんと自分を指差した。
「俺は?」
心なしか、八戒の方が朱に染まる。
「普通、そういうこと面と向かって訊かないし、言わないでしょう?」
「さっき、いい機会だって言ってたじゃん、お前」
「どうしても聞きたいんですか?」
「どうしても聞きたいねぇ」
八戒は、本気で言いたくないようだ。徐々に顎が引かれ、上目づかいになって悟浄を困ったように睨みつける。眉間に皺が寄っている。今の八戒には適当なことを言って誤魔化そうという考えはないようだ。そのくらい頭の中が整理がつかないのかも知れない。もっとも、悟浄もそんな打開案を教えるつもりは、更々ないのだけれど。
期待を込めた瞳で八戒の碧の瞳を見つめる。とうとう、八戒が折れた。長い長い溜息が漏れる。
「こんなこっ恥ずかしいこと、1回しか言いませんよ?」
「上等、上等」
八戒は、陸に上げられた魚のように、口を微妙に開いたり閉じたりしながら何度か言いあぐね、ようやく決心を固めたらしく真っ直ぐに紅い瞳を睨み返した。
「僕、実は貴方には絶対に勝てないと思っています。僕はずるい人間ですから、貴方のなんだかんだ言って、でも誰も見捨てられない性分は真似しようとしてもできないですから」
まるで、ケンカを売るような挑戦的な表情の八戒。それだけを吐き捨てると、買い物に行って来ます、と部屋を飛び出した。
 悟浄は、口に咥えたハイライトが全て燃え尽きても、まだ動けずにいた。成り行きで自分から強請ったものだったが、こんな答えが出るとは正直思っていなかった。
 完敗だ。絶対、八戒には勝てない。
 あの、真っ直ぐに見返す碧の瞳には絶対に勝てない。
 恐らく、彼を拾ったあの雨の日、自分を見上げた碧の瞳に既に負けっぱなしだったのだろう。ククッと喉の奥で笑う。フィルターだけになってしまった煙草を投げ捨て、新しいものに火を点ける。その手は、心なしか小刻みに震えていた。
 頑張ったよ!私!!私的には、これでもラヴラヴ。真っ赤になる八戒さんが書けてちょっと幸せでしたv