「悟浄、夕食が終わったら反省会をしましょう」
いきなり、「いただきます」の挨拶の後で提案された八戒の言葉。言われた内容が分からず、箸を手に取ったまま悟浄は訊き返した。
「反省会・・・ってなんの?」
その言葉に待ってましたとばかりに、八戒が極上の笑みで答える。
「三蔵のところに林檎を届けてから、今日で1年なんですよ」
その、反省会です。
背筋がひやりと感じた。
―――反省会―――。そんな言葉が出る、と言うことは、八戒はこの同居生活に何か不満があったのだろうか?
確かに、同居を始めたは良いものの、最初の何ヶ月かは、お互いに他人の体温に慣れておらず、一緒に住んでいるわりには、なんだか微妙な空間がお互いの間にあったことは否めない。だが、昔馴染みの男とのちょっとしたイザコザのお陰で、その空間は払拭されたと信じていたのに。そう思っていたのは、どうやら自分だけだったのだ、と八戒の一言で思い知らされ、1人取り残されてしまったような感覚を感じる。食事の間中、何やら楽しそうに話し掛ける八戒の言葉も、「今日で1年」の記念らしいちょっと豪華な夕食も、何もかもが上の空になってしまった。この夕餉の時間がずっと続いてくれれば、と、非現実的な願いをしてしまうほどに。
夕食の後片付けをしている水の流れる音と、食器同士が触れる音。それらの音をリビングで耳にしながら、悟浄はハイライトを咥えたままぼんやりと窓の外に視線を向けていた。だからと言って、何かを見ていたわけでもなく、まだ思考のラビリンスから抜け出せない状態なのだ。。
思い返せば、思い返すほど、自分に非があったような気がしてしまう。この場を何か理由をつけて逃げ出せないだろうか?、しかし、それはその瞬間を先延ばしにするだけであって、何の解決にもならないことすら知っている。その「反省会」とやらで何を言われるかは分からないが、どんなことを言われても大丈夫なように、最悪の事態を想定して心の準備はしておいた方が良いだろう。
「すいません、お待たせしました」
そんな覚悟をしているうちに、八戒がボトルとグラスを2つ、チーズなどのつまみを乗せた皿を盆に載せてキッチンから現れた。こんな時、「おう」などと余裕を見せてしまう自分は、どこまで行ってもイイカッコしいなのだろう、と思う。
グラスにトパーズ色の液体が注がれると、まず一口口に含む。甘酸っぱい独特の香りが口の中に広がった。向かいで八戒が「林檎のお酒ですって、つい買ってきちゃいました」と微笑みながら、自分もグラスを傾ける。ひと段落ついたところで、悟浄は手に持っていたグラスをテーブルに置き、向かいに座る青年の碧色の瞳を真っ直ぐに見つめる。
「八戒、悪かった」
その悟浄の言葉を聞いて八戒は瞠目する、予想外の反応だ。
「え?、何でですか?」
「いや。身に覚えはないけど・・・いや、あるって言えばオオアリなんだけど」
どこから話し始めたら良いのか、頭の中が混乱し始めてしまった悟浄の言わんとすることを八戒が整理をしようと、再度問い掛ける。
「悟浄、『なに』が悪かったのか身に覚えはないのに、何故謝るんですか?」
「いや、反省会って言うくらいだから、何かしでかしたんだろうと・・・」
そこで、何となく理解ができてきた。八戒は、自分の言葉の足りなさを心の中で詫びつつ、そのお陰で謝るべきではなかったはずの同居人に柔らかい笑顔を向けた。
「すいません、僕の言い方も悪かったですね」
「どーゆーことよ?」
「悟浄、『反省会』という言葉を聞いて、僕が貴方に対してダメ出しをするつもりなんだろうと思ったんでしょう?」
悟浄がまるで怒られた子供のように、視線をあらぬ方向へ向けた。そんな仕草を、八戒は微笑みながら見つめ、言葉を続ける。
『反省』という言葉は『後悔』とひとくくりにされそうですが、厳密には違うんですよ。
後悔は、自分の過ちを後から悔やむことに対して、反省は、過去の自分の言動を省みることなんです。
つまり。
「別にダメ出しをしないでも反省をすることは可能なんですね」
ゆるゆると、紅い視線が八戒の顔に戻ってきた。
「すると、何?。省みた結果」
「僕は、貴方と暮らせて良かったんだ、と思い至りました」
視線の先には、柔らかな笑顔。何の偽りもない笑顔だ。
自分の心配などは、ただの取り越し苦労だったのだろう。今まで気を張っていた分、ヘナヘナと力が抜け思わず笑みがこぼれてしまう。
「なんだよ、俺、謝り損じゃん?」
「すいません、言い方が悪くて・・・」
どちらからともなく顔を見合わせ、八戒が吹きだしたのを合図にクスクスとした笑い声がリビングに響いた。
1年前には、こんな日が来るとは思わなかったけれど。
こうやって、この1年を振り返ってグラスを傾けるのも、悪くないと思う。 |