NO.9「煙草の吸いすぎ」
 最近、あのサルは、調子に乗りすぎだ。
 三蔵が、心の中で悪態を吐きながら悪戯が過ぎるガキの後を追う。その、悪意の対象になっているガキは、三蔵の5Mほど先の山道を軽々と登って行く。 
 本当は、こんな馬鹿馬鹿しいことに時間を割いているヒマはないのだ。ただでさえ、年度の変わり目で、細々とした書類や雑務や決算などの書類が三蔵の認証を貰うのに机の上に山をなして待機しているのだ。ここ暫く、執務室から出るひまも惜しんで仕事をしていたためか、体調も思わしくない。いろいろなことが重なってイライラが募る。ここ一週間、頻繁に出るようなになった空咳をしながら愛用のマルボロに手をのばす。そこへ、悟空が執務室に入って来た。
「三蔵!、ちょっと一緒に出掛けないか?」
金色の瞳をキラキラさせながら、伸びあがって書類の山から顔をのぞかせる。三蔵はその笑顔をチラリと見、再び書類に視線を戻しながら「後にしろ」と吐いたところで右手が空を掴んだ。
 手に取るはずだったマルボロのケース。それが一瞬先に悟空の手の中に行ってしまった。
「おい。煙草を返せ」
「やだよ!、一緒に出掛けるなら返してやっても良いけど?」
ニヤリと性質の悪い笑みを浮かべて、悟空がドアの外に消えていく。その姿を忌々しそうに見送り、舌打ちをしながら新しい箱を取り出そうと、懐に手を入れてまた舌打ちをした。
 どうやら、悟空が持って行ってしまったものが最後の一箱だったらしい。ここ最近、寺全体が忙しかったため、買い足しを頼むのも忘れていた。ないとなると、益々欲しくくなるのが人情だろう。三蔵は、すでにもみ消されている吸殻の山を忌々しそうに睨みつけてから、あの馬鹿がと呟いてようやく重い腰を上げた。



 確かに、最近デスクワークが多くて運動をしていなかった所為だろうか?、もの凄く体が重く感じる。上がる息を何とか誤魔化し、懸命に先を行く少年の背中を追いかけて行く。一方悟空のほうは、遅れがちになりそうな三蔵の姿を何度も何度も確認しながら、先を歩く。彼の中ではこれでも一緒に出掛けていることにはなっているようだ。三蔵を振り返って満足そうに微笑むと、がさりと小さな姿が藪の中に消えた。慌ててその後を追い、藪の中を抜けると、3M四方ほどではあったが、いきなり場所が拓けた。その真ん中で悟空が眩しそうに微笑む。
「せっかく良い天気なのにさ、ずっと部屋に閉じこもってちゃ勿体ないよ」
お前みたいにお気楽な生活送ってねえんだよ、と文句を言おうにも久しぶりの山登りに呼吸が乱れ、それを戻すのに精一杯だ。ぺたりと地面に胡座をかくといきなり左の太腿に重量を感じた。
「おい、サル。重いんだよ」
「え?だって、今日はここで昼寝することにしていたんだ」
「だからって人の足に頭を乗せるな、どけろ」
「いーから、三蔵もここで一休みして行こーぜ」
そんなやりとりをしている間に悟空の返事がぼんやりとしたものになっていく。どうやら本当に、昼寝の枕にさせられるようだ。すうすうと規則正しい寝息を聞きながら、いい加減痺れてきた足を悟空の頭を落とさないように崩す。上を見上げると、木々の間から降り注ぐ光。その絶妙なバランスに、三蔵の瞼もだんだんと重くなっていく。上体を倒し横になると、そのまま瞼を閉じた。



 多分、それから、さほど時間は経っていないだろう。三蔵は、自分の髪を揺らして去って行ったそよ風を感じ瞼を上げた。そのまま上体を起こすと、まだ膝の上で気持ち良さそうに眠っている悟空を無視して立ち上がる。ゴン!という音と共にいってェ!という叫び声が上がった。
「何すんだよ!」
「起きろサル、俺は忙しいんだ」
起こすにしてももうちょっと起こし方があるだろう!と背中でぎゃんぎゃんと騒ぐドーブツを無視して、ガサガサと入って来た藪の中に戻っていく。その後ろから、悟空がテクテクとついてきて、アッサリと三蔵の隣に並んだ。
「悟空」
「何?」
きょとんと見上げる少年を横目に眺めて出掛けたいところはあそこで良かったのか?と問うた。それに返される満面の笑みが答えだろう。それを確認し、三蔵は歩きながらぬっと左手を悟空の前に差し出した。
「何?」
「煙草。返せ」
簡単な言葉に、渋々といった感じで悟空が赤い箱を差し出された掌に乗せた。ようやく手元に戻ってきた所有物を懐に戻し、無言のまま山を降りていった。
「なぁ、三蔵?」
「なんだ?」
「来て良かったと思わない?」
「・・・・・。疲れるだけだったがな」
「へへ・・・」
日はまだ高い。木々の間から、暖かい光が相変わらず2人に降り注いでいた。



 その夜。
 就寝前の一服、と思い箱を取り出したところで、三蔵はふと違和感を覚える。
 ここ最近毎日きっかり2箱消費している煙草がまだ残っているのだ。今朝、新しいパッケージを開けたのを覚えている。今日は煙草の消費が少なかったのだ。
 そう言えば、悟空に連れ回された後から空咳も出ていない。頭の中がクリアになって、書類に目を通すスピードも速くなっていた。
 それよりも、何よりも。
 イライラが消えていることに今更ながら気付いてしまった。
 どうやら、すべて、オーバーワークと、煙草の吸いすぎによる悪循環だったようだ。
 果たして。
 悟空は、その事に気付いて自分を執務室から連れ出したのだろうか?、それとも。
 もう、どっちだって良いような気がした。
 煙草と同じくらいの精神安定剤を自分は持っているらしい。
 それで良いじゃないか。
 ゆらゆらと立ち上る紫煙を眺めながら、三蔵は自分の口元が緩んでいることに気付かないでいた。
 「死ぬよ?」と合わせて読んでいただくと、面白さ更に倍。
 テーマは、「煙草の吸いすぎを気にする人」でした。