特 権・2
 ジャン・ハボックは途方に暮れていた。最初はちょっとした悪戯だった筈なのだ。視察の帰り道、懐かしい後ろ姿を見つけたから。悪戯心が疼いただけなのだ。
 なのに、隣に座る少年はその頑なな態度を止めようとはしない。そのそっぽを向いたままの項を見下ろしながら、ジャンはどうすれば良いのか思案に暮れていた。
 2本目の煙草を取り出し火を点ける。
「たーいしょー、いい加減機嫌直せよ」
 2人の間の気まずい空気を払拭すべく、降参と言わんばかりに空へ向けて煙を吐き出した。「大将」と呼ばれた少年は、青年の溜息交じりのぼやきに一度胡乱な眼差しを彼に向け、再び顔を背けてしまった。
「やだ、少尉なんかきらいだ」
ともすれば、「少尉」まで平仮名で言われているように聞こえるのは何故だろう?。「嫌いだ」と言われるより「きらいだ」と言われた方がダメージが大きいのは、そこまで幼い子供に「きらい」と言われるほど悪いことをしてしまったという罪悪感からなのか。綺麗に結わえてある尻尾を見つめながら、ジャンはぼんやりと他人事のように思った。



 遡ること、10分前。舞台は、今と同じイーストシティの公園のベンチ。ジャンが言うところの「大将」こと鋼の錬金術師、エドワード・エルリックは、買ったばかりのアイスクリームを手に、久しぶりのイーストシティを満喫していた。
 この街は、故郷であるリゼンブールとはまた違った懐かしい印象をエドワードに与える。成長して帰るべき場所が、リゼンブールだとすると、11年間暮らしていた家を焼き払い旅に出てから、根無し草の生活を送っていたエドワードが、羽を休められる止まり木のような街がこのイーストシティなのだ。以前は余所余所しい印象を与えていた街並みも、ようやく、エルリック兄弟を迎えてくれるようになった。それは彼ら自身の人柄だけでなく、ロイ・マスタングをはじめとする、東方指令部の面々の手助けがあったからこそ。
 アイスを食べながら、この長閑な公園でぼんやりとする。いつも殺伐とした生活を送っているエドワードには、ちょっとした贅沢だ。
―そう言えば、みんな元気かなあ―
 今日着いたばかりで、提出書類を出すくらいで急ぎの用事もなかったため、指令部に行くのは後日にしようと決めて、ここでのんびりとしていたのだが、何も考えることがないと、やはり懐かしい顔を思い出すのも分からなくはない。

 その時、いきなりアイスを持った左手を誰かに掴まれた。
 ―――さくっ―――
 頭上で、コーンを齧る軽い音が響く。その音がする方を見上げると、たった今思い浮かべていた金髪の青年がエドワードの左手を掴みながら、口の中の物を咀嚼している姿が移った。
「よお、大将。良いモン食ってんじゃん」
「・・・・・。しょーおいー!」
 エドワードの左手には、コーンだけが残された。



「オレの楽しみだったのに・・・」
「あー・・・」
「このアイス、あそこの店でしか売ってないし」
「あの・・・、大将・・・?」
「さらにオレが本日最後のひと掬いの客だったのに・・・」
「わるかっ・・」
「コーンとアイスが混ざる最後の一口ってオレが一番好きなところなんだよね」
エドワードがわざとらしい大きな溜息を吐く。謝罪の言葉すら受け付けられない。何故こんな時に、彼は1人なんだろう?。いつもなら、弟のアルフォンスが兄を上手く操ってくれるのに。いつも一緒にいる大きい鎧の姿が見えないことに、初めてジャンは疑問を覚えた。
「そう言えば、アルフォンスは?」
一度無視しようかどうしようか迷って答えに詰まったようだが、そっぽを向いたままぼそりと答える声が聞こえた。
「今日着いたばかりだったんだけど、図書館が休館日だったから、それぞれ好きなことをしようって言って別れたんだよ」
なんだかんだ言っても律儀な態度は微笑ましい。大人になりきれない、そんな子供っぽいところが彼の魅力なのだが。
 ジャンは短くなった煙草を、内ポケットに入っている携帯灰皿に突っ込み、大きく深呼吸をした。
「エドワード」
ぴくり、とエドワードの小さな肩が揺れる。それでも、金髪に覆われた顔はあらぬ方を向いたままだ。
「エドワード、いい加減こっち向けよ」
再度呼びかけると、エドワードは、渋々といった表情で視線をジャンへ向ける。眉間に皺を寄せ上目づかいに背の高いジャンを見上げた。ジャンはエドワードの金色の瞳へ真っ直ぐに視線を合わせる。
「悪かったよ、お前がそんなに怒るとは正直思っていなかったけど・・・」
「・・・・・。」
「食い物の恨みは恐ろしいって言うからなあ」
「も、良い」
苦笑して見せれば、「許す」と返って来てジャンはとりあえずホッとした。しかし、少年はそれでも難しい表情を崩さない。その顔を不思議に思いながら、身を屈めて少年の顔を覗き込んだ。
「エドワード?」
「・・・・・。」
さらに眉間に皺を寄せ、エドワードが何かを話している。
「聞こえないぞ」
「ごめん、少尉」
そう聞き取れた。
 謝るべきは、自分の方で、この少年ではないはずなのだが。
「アイスなんてどうでも良いんだよ、本当は。別に食べようと思えば、今日じゃなくたっていつでも食べられるんだし」
難しい顔でジャンの顔を見上げていた少年の視線が徐々に膝の上に落ちる。
「だけど、何でかな?。少尉が相手だと、張らなくて良い意地まで張っちゃうし」
俯いた顔が心なしか赤くなった気がした。
「こんなガキっぽいこと、本当は好きじゃないんだよ」
少尉を困らせちゃってごめん。
 ジャンは、この告白に切ないものを、その反面、誰か−さしあたって自分の上司だろうか?−に自慢したくなるほどの優越感を覚えた。
 国家錬金術師という堅苦しいものをもつ少年。子供として扱われることを嫌い、1人の軍属の人間として扱われることを本人が望んでいるため、うっかり失念してしまうのだが彼はまだ15歳の子供なのだ。本人が、どんなに子供っほい行動を嫌がったとしても、ジャンは、ジャンだけでなく東方指令部の面々は、そんな風に無理して背伸びをしているエドワードにもっと素直な感情を持って欲しいと思っている。無理をしている少年を見ているのは正直切ない。
 ジャンは、隣に座るエドワードの金色の髪に左手を降ろした。ふわりと、不快にならない程度のその重みにエドワードは思わず顔を上げた。そこにあるのは、笑みを湛えた少尉の表情。
「そんな、気にすることないだろ?、別に俺は困ってないし」
でもと言い募るエドワードの頭を軽くポンポンと叩いて止める。
「むしろ大歓迎だね」
ニヤリと笑ってポケットから煙草を取り出した。
「だって、俺が相手だと意地を張っちゃって普段のお前が出せないって言うんなら、こんないじけた表情は、俺だけしか見られないってことだろ?」
「いじけた言うな」
再び、エドワードが口を尖らせる。その顔に事実だろ?とさらりと返して、取り出した煙草に火を点けた。
「お前にもアルフォンスにも、もっと年相応の自分を出せる場所が必要だと思うぜ」
ジャンはあえて『年相応』という、彼が嫌がりそうな言葉を入れてみた。案の定、エドワードの表情が曇る。禁忌を犯した自分は、国家錬金術師の自分は、『年相応』に振舞ってはいけないという強迫観念があるのだということも、何となく分かっているのだが。
「お前、俺のことお兄ちゃんみたいだって言っただろ?」
ジャンは、その顔に気付かない振りをして、空に向かって煙を吐き出した。
「俺がエドワードにとってお兄ちゃんなら、アルフォンスにとってもお兄ちゃんだ。そういうワガママはお兄ちゃんに任せなさい」
2人まとめてどんと来ーい!、と冗談めかして言えば、ようやく難しい顔をしていた少年の相好が崩れた。その表情を見止めてジャンはよっしゃあ!という掛け声と共に立ち上がる。もうそろそろ、指令部に戻らなければ。偶然出逢った少年と離れ難くて、その事実を頭の片隅に追い遣っていたが、今はまだ仕事中なのだ。自分を見上げる少年の金色の瞳を見やった。
「大将、アイス食っちまったお詫びに、今晩何か奢るよ」
「え?もう良いよ、そのことは」
「それにかこつけて俺がお前達と飯食いたいだけだから、気にすんな」
何が良い?、と問い掛けられたエドワードは、ニヤリと悪戯っ子の顔で「そう言うんなら、オレ行きたい店があるんだよね」と答える。いつものふてぶてしい表情だ。その裏のありそうな笑顔を見て、ジャンは店に入る前に金額の上限を決めておいた方が良いだろうか?。と、財布の中の残高を頭の中で確認しつつ、通り慣れた職場への道を歩いた。
 少し遅れてベンチから立ち上がったエドワードが隣に並ぶ。
「大将?」
「逃げられるとヤだから、これからの時間は指令部で過ごすことに決定」
これは、エドワードの行動如何では、私情を挿んだ上司から減給も免れないかも知れない。そう思いながらも、自分の足音と重なる軽い足音を聞くことに少しの嬉しさを感じて、ジャンは指令部に向かって歩いた。
 ・・・・・。ハボエド?
 某さまにハボエドを差し上げようとした時にリクをいただいたものの1つ。その時は別のものを差し上げましたけど、このシチュエーションも書きたかったので書いてみました。
(2004.11.25UP)