フランス料理とオードブル
  「10年ひと昔」と言うけれど、彼と知り合ってから10年を超えて、干支が一回りしてしまうほどの時間を過ごしてきたのだなあ、とぼんやりと思った。





 彼と出逢ったのは、二回生のゴールデンウィーク明け。とある講義での彼の不躾な行動がきっかけだった。
 それが、「社会学部の火村英生」と知ったのはそのあとの昼食の学食で。
 更に、その「火村英生」という人物が、実は英都大学の有名人であったと知ったのは、昼食後に彼と別れてから出席した講義の時間だった。
 同じ法学部であったなら、名前くらいは聞き及んでいたかもしれないが、たとえ同学年であったとしても、小説のネタになりそうもない人物の話など私が知っているはずもなく。
 数年後、そのことを正直に本人に打ち明けたところ「小説のネタは、どこに転がっているか分からないんだぜ。もっとアンテナを高くしとけよ、日本のエラリー・クイーン」といつものニヤリとした笑顔で言われてしまった。
 そして、まだアンテナを伸ばしきれていなかった当時の私が、友人の誕生日を知ったのは、それから数年後のことになる。





 4月15日。
 その日、法学部の女の子達が、えらく私に声を掛けてきていたのを覚えている。
 それも、ほぼ同じ内容で。
「なあ、有栖川君。今日の火村君の予定聞いてへん?」
 何回目かの同じ内容の質問に、私は内心辟易しながらそれぞれのバイトの後、2人で落ち合い、そのまま火村の家にお邪魔して呑み明かす予定だと答えた。
 ここしばらく、私は小説の応募の締め切りが迫っており、呑みの誘いをことごとく断っていた。火村は勿論事情を知っていたので、呑みに誘いもしなかった。それどころか、追い込みの期間中に2人が被っている間の講義をしっかり板書しておいてくれたのだ。
 先日ようやく出版社に作品を送ることができたので、ノートの礼も兼ねて私の方から近い内に奢る約束を取り付けた。
 日にちが今日になり、場所が火村の家に決まったのは、翌日火村が受けるは講義なく、私の方も午後からで、少しくらい箍を外しても構わない日程で、万が一酔いつぶれても構わない場所で大学に近いところと言う条件をクリアしていたためであり、深い意味は勿論ない。
 私の返事を聞いて、彼女達は一様に満足した、あるいは安心したような表情で私の前から去って行く。
 質問者が両手の指では足りなくなってきた頃にようやく、これは火村に関して何かあるんか?と思い始め、次に同じ質問をしてきた女の子に訊ねてみた。
 問い返された女の子は、一瞬きょとんとした表情をしてから
「有栖川君、火村君と仲良かったんと違うの?」
と前置きしてから、彼の誕生日だと教えてくれたのだ。
 成程。今までの質問者達の去り際の笑顔は、火村が誕生日を一緒に過ごすような特別な相手がいないか、探りを入れてきていたわけか、と納得した。
 それと同時に、今晩の予定を思い出して、私はしばし思案する。
 もう二十歳を過ぎた男が、自分の誕生日など気にすることもない。しかし、知らないのならいざ知らず、知ってしまった友人の立場としては、普通の呑み会で済ませるわけにはいかなくなってしまった。せめて、酒もつまみも奮発をせねばなるまいと鞄の中から財布を取り出し、財布の中身を確認し、更に通帳の残高とバイト料の入金日までの期間を計算しだした。



 その日の夜、下宿を訪ねた私が普段呑んでいるものよりやや高価な酒と、ちょっと奮発したつまみをテーブルに並べて日中の出来事を話し終えると、友人は左の眉をピクリと上げ、それまで吸っていたキャメルを灰皿に押し付けた。
「知ったのが今日やったから、プレゼントは堪忍な。せめて食い物ぐらいはやや豪華にしてみました」
「やや豪華が出来合いのオードブルかよ?」
新しい煙草に火を点けて、煙を吐きながら火村が混ぜ返す。
「なんや、不満か?」
「せっかくだから、アリスの手料理でも悪くなかったんだけどな」
「冗談やない、料理の腕は1人暮らしの君のほうが上やろ」
 やはり二十歳を過ぎても、誕生日を祝われるのは悪くない気分らしい。火村の表情が心なしかやわらかく見える。
「今年は、出来合いのオードブルやけど、今度はフランス料理をご馳走したるわ」
「確かに聞いたぜ。忘れたとは言わせねえからな、フランス料理のフルコース」
「フルコースなんて言うてへんやないか!」
「楽しみにしているぜ、未来のミステリの巨匠サマ」





 そんな他愛もない約束が実現できるまでに、かなりの時間を費やした。
 その間、お互いの進むべき道も、生活環境も変わっていったのに、付かず離れずのスタンスを保ち、彼と今でも友人関係を続けていられることが素直に嬉しかった。

 そして、そう思っているのが、私だけでなく火村も同じ気持ちであれば良いと願っている。
 火村英生誕生日記念SSです。
 アホの子(←枕言葉)アリスとギリギリの関係の青年火村を目指してみました。
 永遠の34歳おめでとう!

(2007.04.15ブログにてUP 
            2007.04.16サイトに移行および、少々修正)