子守唄
人を、
殺す
夢を見る。



 そのたびに火村は飛び起きて、自分の手が紅く染まっていないことを確認してから、再び床に就く。
 今日は大丈夫だった、でも明日は分からない。きっと、ある日自分の紅い両手を見下ろして、絶望するのだろう。
 それまでは、夢と現、絶望と安堵を繰り返すことになるのだ。
 いずれにせよ、安らかな眠りは訪れない。





 「火村ー、すまんけど、今日君の部屋に泊まらせてくれるか」
「・・・・・・・え?」
有栖は顔を上げて現在の時刻を確認すると、何の躊躇もなく隣で本を読んでいた火村に声をかけた。
 2人がちょっとイレギュラーな出逢い方をした初夏の日から季節は移り、キャンパスの並木は紅葉が色づき始めていた。
 この日、レポート提出の期限を1週間勘違いをしていた有栖は、図書館に篭ってレポートの仕上げをしていた。ようやく〆の一行を書き終わると辺りは暗く、電車はまだ走っていたものの大阪まで帰るのが億劫に思えてきてしまった。
「このレポート、明日の1限目で提出やねん。これから帰って、明日の朝にはまた戻って来るかと思うと、正直めんどい」
「自業自得だろ?」 
「ここまで付き合うてくれたんやから、毒を食らわば皿までやん?」
「ここまで付き合ってくれたんだから、もう良いよ、有難う。という選択肢はないのか?、アリス」
レポートを纏めなくてはいけないのは有栖だけで、火村は『暇だから』という理由で、この場にいただけだったのだ。最初のうちは資料集めに協力してくれていたのだが、確かにレポートに着手してからは、何もすることがない。それなのに、こんな時間まで付き合ってくれた火村はよほど暇だったんだろう、と思っていた。出してきた資料を2人で片付けながら、交渉は続く。こんな遅くまで残っているのは既に2人だけになっいたので、周りへの気遣いもいらない。
「俺の部屋、散らかってるぜ?」
「初めてお邪魔した日から、君の部屋が片付いているの、見たことない。あ、それとも」
 実は、彼女とかおったりするんか?
今まで、何度かお邪魔した火村の下宿に、女性の影は『ばあちゃん』こと篠宮夫人しか感じられなかったので油断していたのだが、もしかしたら自分の知らないところで女性があの部屋に出入りしているのだろうか?。
 確かに、この男のルックスと嫌味のない立ち居振る舞いは、クラスの女の子の間でも人気が高い、それでも浮いた噂が立たなかったのは、学校以外に恋人がいる所為なのだろうか。
 それならば仕方がない、と諦めかけたところに火村がぼそりと呟いた。
「いねえよ、恋人なんて」
「じゃあ、ええやろ?。替えのパンツも歯ブラシも全部買って行くから」
 最後の1冊を本棚に納めると、有栖は火村に笑顔を向けた。





 食事を摂り下宿に戻るったところで、ようやく気付いたというように『あ、客用の布団なんか無かったな』と火村が呟いたので、2人で、雑魚寝をすることになった。軽くアルコールを飲んでいると、レポートのお陰で目が疲れていたらしく、いきなり有栖に睡魔が襲ってきて、そこでささやかな酒宴は終了する。
 それから有栖が目覚めたのは、真夜中のことだった。





 目を覚まして、見慣れない天井と感触が違う寝具に、一瞬自分がどこにいるかを考え、嗅ぎ慣れた煙草の匂いに火村の下宿にお邪魔していたことを思い出した。ふ、と隣で寝ているはずの火村の方へ顔を向けると、そこに姿は無く台所から水音が聞こえる。どうやら、喉が渇いて水を飲みに起きたらしい。ふう、とため息が聞こえ、部屋へ戻ってくると布団には入らず、シュッとライターを擦る音と、キャメルの香りが漂ってきた。
「ひむら?」
 声をかけると、ぴくっと、火村の影が揺れる。煙を吐き出し、少し掠れたバリトンが聞こえた。
「アリス、いつ起きたんだ?」
「たった今」
 煙草を吸う一拍の間が開く。そんな様子を首めぐらして眺めながら、暗闇で見る煙草の火は、なんだか儚げで綺麗だ、と有栖は思った。
「起こしたか?。・・・悪かったな、大声出しちまって」
 まだ長い煙草を灰皿に押し付ける。その姿が、何故か自棄になっているように見えたのは、有栖の気のせいだろうか?。
「え?、気付かんかった。何や、悪い夢でも見たのか?」
 お互いに暗闇に目が慣れてきて、二人の視線が合う。ぼんやりと見える火村の表情は、一瞬きょとんとしてそれから可笑しそうに口の端を上げていた。
「あぁ、すげえ怖い夢だった。地球上が全面禁煙になって、他の星に喫煙所を求めてスターツアーする夢だ」
「どんな夢やねん」
 小さく笑い合うと、火村が有栖の隣に戻ってきた。定位置に治まり目を瞑ったのを確認すると、今度は有栖が立て肘をして、上半身を少し起き上がらせる。
「アリス?」
「眠れない火村のために、子守唄でも一曲」
悪戯っぽく前置きしてから紡がれた曲は、誰もが子供の頃聴いたことのあるシューベルトの子守唄。柔らかいテノールの歌声が、真夜中という時間帯を考慮してか、囁くような音量で時々掠れながらも続く。
 歌い終わったところで、火村が目を瞑ったまま声をかけてきた。
「アリス」
「なに?」
その返事に、『どないや!』と言わんばかりの自信ありげな含みを感じ、再び笑みを浮かべて一言。

 お前、歌ヘタだな。

 音痴とまでは言わないが、大阪訛りの残るシューベルトは、少々コミカルな印象を感じさせる。
 そう正直に告げると、『うっさいわ!』という言葉と共に、顔に何かが当たった。
 目を瞑ったままだったので、一体何が起こったのか、分からない。当たったと言うより、何かに包まれているような感覚。
「もう、歌わん。寝てまえ、火村のボケ」
 その声を耳ではなく頭で感じ、ようやく有栖の腕に抱えられているのだと分かった。左の頬に当たっているのは、多分有栖の胸だろう。

 とくん、とくん、とくん、とくん・・・

 そこから聞こえる自分ではない人物の心音。

 その心音を暫く聞いていると、上から穏やかな寝息が重なって聞こえてきた。
「アリス?」
 返って来るのは、寝息のみ。どうやら再び夢の国の住人になってしまったらしい。
 穏やかな寝息と、心臓の動いている音。

 あぁ、生きている。俺じゃない人が、俺の隣で確かに生きている。
 アリスは、ここに生きている。

 火村は、おずおずと自分の腕を有栖の背中に回す。よほど深く眠っているのか、起きる気配は無い。
 繰り返される単調なリズムに、火村も睡魔を感じ始めて再び目を閉じる。

 今日は朝まで、うなされることは無いだろう、そう思いながら。
 事の発端は、かのんさんとの真夜中トーク。
 真夜中のテンションって怖いデスヨネ・・・。ちなみに、火村の頭を抱きしめるアリスちゃんの発案は、私じゃないです、かのんさんです。
 
アリスと火村のどちらの一人称にしようか迷って、結局3人称にしようとしたら、一人称、三人称、どっちつかずになってしまった作品。
(2008.05.07UP)