重なる日々
 手帳を開いて日付を確認し、私はあることに思い当たった。
 再び、別の手帳を広げて暫し思案。確証を得られたことに満足をした。





 英都大学の正門前で、火村英生は、友人と待ち合わせをしていた、
 2年前の春、彼らが2年の頃に学部は違うが知り合い、それ以降付き合いのある友人だ。
 火村の場合、誰かと知り合いになった場合、その距離が縮まるということがあまり多くはない。知り合った当初の距離をずっと保っていく者もいれば、理由はなくとも疎遠になってしまう者もいる。自分があまり人を寄せ付けない雰囲気を出している所以だと火村自身自覚をしているし、それで良いと思っている。
 そう考えると、今待っている友人は、特殊な部類に入るのだと思う。
 思えば、出逢いからして特殊だったのかもしれない。誰かに紹介されたわけでも、同じサークルに入っていたわけでもない。
 作家志望のその友人は、あろうことか講義中に投稿作を仕上げていた、自分はそれを横で盗み見していた。ただそれだけなのだから。
 思えば不思議な縁だよな、と火村は、煙草をパッケージから取り出し火を点けた。
 その煙草が半分ほど灰になった辺りで、待ち人が学舎から姿を現した。
「よお、アリス」
 待ち合わせの相手、有栖川有栖の姿を認めて片手を挙げる。
 出会った経緯も、距離感も、名前からして、彼は火村にとって特殊なことばかりだ。
「すまん、待ったか?」
 呼ばれた声に答えるように、アリスは先ほどより速度を上げ小走りに近づいてくる。
「いや、最後の講義が教授の都合で10分早く終わったんだ。特に寄る所もないから、ここで一服していた」
 携帯灰皿を取り出し、そこへ突っ込む前に右手に持っていた煙草を掲げると、アリスはほっとため息を吐いた。
「それは良かった。誘った方が遅れてはカッコがつかないからな。教授の都合はイレギュラーや」
 安堵したように笑顔を浮かべると、仕切り直しとばかりに「いこか」と火村を促して正門から移動を始めた。



 アリスから食事の誘いが来たのは昨日の夜のことだった。
 できれば今日、都合をつけてくれ。と。
 受話器を置いて自室に戻り、火村は暫し思案する。明日、何かあっただろうか?。と。
 電話の向こうで「君にも関係することやから考えてみ。明日までの宿題な」と笑いを含ませて通話を切られてしまったので、悪い内容ではないのだろう。
 思いつくのは、卒業か、就職か。作品が賞に入ったか。はたまた、彼女でもできて紹介でもされるのか。
 まず卒業と就職。
 確かに、そろそろ卒業式が近づいており、慌しくなってはいるが、卒業祝いと称した飲み会は別の日に終わっている。就職も然り、そもそも地元の書店に内定が決まっているアリスなら兎も角、火村はこのまま大学に残ることが決まっているので、就職も何もない。
 なら3番目の受賞の可能性は?。
 最近、投稿した小説は火村の知っているところではない。アリスは、必ず火村に書き上げたものを見せるので、自分が知らないとなれば、この可能性もないだろう。応募しないものに賞が付く筈もない。
 そうなると最後の可能性である彼女ということになるのだが、一体、いつそんな浮いた話が出たのだろう、と。
 火村はそこで考えを止めてしまい、明日になれば分かることだと、アリスからの電話で中断させられてしまったレポートに打ち込んだ。



 辿り着いたのは、2人がいつも使う居酒屋だった。アリスは席に着くなり、ビールとつまみを何点か注文すると、改めて火村に向き直る。
「で?、宿題は解けたか?」
 謎解きを拝聴しようじゃないか、というような眼差しを向けられ、火村は灰皿を引き寄せて、煙草に火を点けた。
「昨日のあれじゃ、ヒントが少なすぎる。謎解きはフェアに行かないとな、未来のエラリー・クィーン?。登場人物は、俺とお前だけなのか?」
「君と俺に関係することや、て言うたやろ?」
再び同じヒントを提供してくるアリスに、火村は煙草の灰を落としながら左の眉をぴくりと上げた。第三者がいないとなると、昨日考えた最後の可能性も消える。そのことに少々安堵しつつ、問題提供者に視線を移した。
「お前。俺と知り合ってから2年も経つんだぜ、関係することなんていわれてもありすぎて分かんねぇよ」
「それもヒントや。だけど2年やない」
「年月に関係することか?。2年じゃない?」
「昨日、手帳を開いて俺もアレ?と思うたくらいや」
「そんな細かいところまで分かるかよ」
「したら、もう1つヒント。階段教室」
 威勢の良い店員が『ビールお待ちどぉ!』とジョッキを持ってきたのを皮切りに、注文していたつまみがテーブルに並べられる。その間、会話は続かず火村は数少ないヒントを手がかりに、再び考えを巡らせた。人差し指で、唇をなぞる。
 階段教室といって思い出すのは、2人が出逢った教室が真っ先に浮かぶ。あれからもう2年も経っていたのか、と思うと、長いようで短かった気もする。だが、アリスは2年じゃないと言った。
 それから手帳。手帳に記されているのは、週と曜日と日にち。
 考えがまとまりかけたところで、再びテーブルは、2人の空間に戻った。火村は、再び向かいの席に座るアリスの顔を見つめる。
 いつまで経っても興味のあることには貪欲で、さまざまなものに目を引かれる友人。出逢ってから、この興味深々な表情は変わらないな、と可笑しくなった。
「曜日か?、それとも日にち?」
「ええところまで行ったな、火村。もう一歩や」
「年数じゃないってことは、去年とか一昨年の今日何かがあったってわけじゃないんだよな。一昨々年はまだ知り合いじゃねぇし」
アリスの目が、先ほどに増して輝き始めた。こういう姿を見るにつけ、火村は、本当に自分と彼が同じ年なのだろうか?と思わずにはいられない。
 普段なら、謎解きで降参をするのは、火村の本意ではないのだが、目の前で、今にも種明かしをしたがっている友人をみると、たまには華を持たせてやろうという気になってしまった。何より、今日はアリスがセッティングした飲み会だ。
「もう良いじゃねぇか、アリス。早く乾杯しないと、料理も冷めるぜ」
火村の一言に、待ってましたとばかりにアリスがジョッキを手に取った。
 そして。
「正解は、出逢ってから1000日目や、かんぱーい」
と、お互いのジョッキをがちんと合わせた。
「昨日気付いたんや。手帳開いて、卒業までの日数数えてたら、ふ、と君と出逢って何日経ったかな?て」
 アリスが興奮気味にまくし立てるのを、火村は呆然と聞いていた。
「おい、アリス・・・」
「偶然でもすごくないか?」
「発見を喜びに変えるのに文句は言わないが、なんか新婚夫婦の会話みたいじゃねぇか」
意外な事を言われたらしい。一瞬、きょとんとしたアリスは再び言い募る。
「だって、考えてもみぃ。例えば、君と逢ってから一枚ずつ原稿を書いていったとする。今日まで書きあげたら、長編読み物ができるんやぞ」
「あぁ、分かった。だからもう、食おうぜ。お前のおごりなんだろ?」
 火村は箸を取り、一膳をアリスの方へ差し出した。一方、発見を共有することに失敗してしまったアリスは、しぶしぶ差し出された箸を取り、ぼそりと一言『今日だけやぞ』と呟いて、本日の晩餐は始まったのだ。



「だけどな、アリス」
 何度か追加注文を繰り返し、空腹も良い具合に満たされた頃に、煙草の灰を落としながら、火村はおもむろに向かいで黒文字を操っている友人に声をかけた。
「さっきの原稿の例えを使わせてもらうと、これから先俺とお前が付き合っていく限り、長編どころじゃなく広辞苑も真っ青な一大巨編ができるじゃねぇか」
 食後用にと、頼んでいたわらび餅をつつきながら、アリスは再びきょとんとした表情を向け、ついでにやりと笑みを浮かべた。
「それは願ったりや」
「何が?」
「だって、君がそう言うということは、君が俺との付き合いをずっと続けていくことに何の不思議も持っていないということやろ?」
 無意識の指摘に、火村の手元がぶれ灰が吸殻の山を築きかけていた灰皿から逸れてテーブルに落ちた。





 それから数年後、アリスが佳作を受賞し作家デビューが決まったことも、火村が母校の助教授になったことも、さらにその先、2人で探偵まがいの捜査に踏み出すことも、今の二人は知る由もない。
 だけど。
 どんな未来にも近くにお互いが居るんじゃないか、と思わせる何かを、お互いに感じていたのだろう。
 1000hit記念アンケート・第1弾。かのんちゃんから頂きました。リクエスト『ヒムアリ』
『アリスちゃんが可愛いので』とのことでしたので、あほの子全開で書かせていただきました。可愛いって言うより、頭にお花が咲いてそうな・・・。
 かのんちゃん、アンケート応募有難うございました。
(2010.1/10up)