幼い頃から、ずっとその凛とした後ろ姿を見てきた。
そして、それはずっと続くものだと信じていた。
その姿は、誰にも屈することはなく、常に頂点に立つ者のそれだと思っていた。
だから。
「この、ロウアータウンを纏めることのできる人物は、彼を置いて他にはいない」
新しいリーダーを見つめる彼の穏やかな声がそう呟いた時、俺はその言葉が俄には信じられず、思わずその背中を見つめた。
そして。
彼が、四天王と呼ばれる存在になった時でも、俺は、その後ろを見守っていた。彼以外の人間に仕えるつもりは、毛頭ない。俺が守るべき相手は、幼い頃から彼だけだと決まっているのだから。
記憶に残るのは、後ろ姿。いつも、その細くて真っ直ぐな凛とした後ろ姿を見つめるのが好きだった。
しかし、
ロウアータウンのリーダーがここを出て行き、彼もその後を追うように、外の世界に行ってしまった時。
あの時、自分の存在を捨てられた気がして、胸の奥がきしんだのを覚えている。
―花月。お前は、風鳥院よりも、俺達よりも、雷帝を選ぶのだな。―
「君は、僕が裏切ったとしか思えないんだろうね」
飛針の手入れをしている俺の隣で、ポツリと花月が呟いた。まるで、独り言のようにも聞こえるそれ。だが、花月は、聞いて欲しいのだろう。俺は手入れをする手を休めることなく、次の言葉を待った。
ILの奪還がきっかけで、再び風鳥院花月との交流が始まった。
ここを出てからそれまで、花月は無限城に近付かなかったのだが、MAKUBEXが「新生VOLTS」の誕生を宣言したと同時に、度々、無限城に姿を見せるようになった。
無限城には、俺も姉者もいる。昔、風鳥院の末裔をを守るべく、花月と一緒にここに来た俺達。だが今、姉者はMAKUBEXを補佐をする立場。そして、守られるべき存在であるはずの花月は、ここではなく外の世界にいる。
再三、無限城での生活を勧めているのだが、彼は決して首を縦に振ろうとしない。こうと決めたら、自分の意志は曲げない、そんな男なのだ、花月は。
無限城に自分の居場所をを求めない理由。その裏には、あの絶対的な男の存在があるのだろうか?と、勘ぐってしまう。
あの男が、外の生活を選んでしまったから、花月もまた・・・
「僕が、銀次さんを追って、無限城を出て行ったと思っているんだろう?」
花月の口調はとても穏やかで、あの時、新しいリーダーとして雷帝を認めた時と、同じ表情をしているのだろう。目が見えなくとも、花月のことなら手にとるように分かる。幼い頃から、ずっと一緒にいて、ずっと、見守っていたのだから。
訊ねているようにも、責めているようにも聞こえたその言葉に、是とも否とも言えなかった。
あの時の、黒い想いが蘇って来る。俺を見つめなかった、拒絶したような後ろ姿。
言葉が見付からず、思わず手入れの手を止め、うつむいてしまった俺の仕草に、花月がくすりと笑うのが聞こえた。
「確かに、僕は銀次さんと出逢って、この人のためなら僕の持てるものを差し出しても構わないと思った。銀次さんには、そう思わせる何かがあるんだ」
花月の言葉一つ一つが、俺の心にどんどん黒い影を広げていく。相変わらず、穏やかでいて意志を曲げないその口調は、花月の使う絃の様だ。
柔らかくて、繊細なのに、屈強な強さで、じわりと相手を傷つける琴の絃。
「でも、十兵衛」
ちりん、と鈴の音が鳴る。花月が、俺の隣に腰を下ろしたらしい。
「僕が銀次さんの四天王としていられたのは、君がいたからなんだ」
ちりん、とまた鈴の音が聞こえ、花月がいるほうの肩が重くなった。その肩には、花月の髪がサラサラと流れている気配。
「銀次さんが大切なのは、本当。でも、君が僕を見守っていてくれていたのも、ちゃんと感じでいたよ」
ずっと、見ていてくれていたよね、十兵衛
花月の穏やかな言葉が続く。
「この無限城で、自分のことに構わず、銀次さんにつくことができたのは、他ならない君が、僕の後ろを守っていてくれていたから」
くすり。花月がまた笑った。
「僕が、君の存在を忘れるわけがないじゃないか」
たった数分間の内に、長い間蟠っていた心の黒い闇は、花月が晴らしてしまった。肩の重みと、柔らかい声、花月は確かにここにいる、俺のすぐ側に。
「ごめん、裏切ったわけじゃないんだ。言い訳にしかならないかも知れないけれど」
「花月」
「今も、無限城に戻らないのは、銀次さんがここにいないからじゃない。外からも、ここを調べたいからなんだ」
そこまで言って、花月はくすくすと笑い出した。重くなった肩が小刻みに揺れる。それに合わせてチリチリと鈴の音が軽やかに響いた。
「なんだか、言えば言うほど言い訳じみて来るようでカッコ悪いな」
ひしきり笑った後、肩が軽くなり、今度は頬に細い指が添えられた。お互いの顔が近付く、花月の息が掛かる。
「すまない、僕が君の視力を奪ってしまった」
「これは、貴様の所為ではないと、何度言わせるんだ?」
これは、守るべき存在に刃を向けた己の罰、一瞬でも、信じるべき親友を疑った己の罪。花月がそんなに自分を責める必要はどこにも無いのだ。
「僕は、君の瞳が好きだった。君の視線を感じるだけで、安心して背中を預けられたのに」
ふわりと、首に腕が回される。
「それが失くなってしまったのは、哀しいよ」
囁くような言葉は、耳元に吸い込まれた。
思い出すのは、凛とした後ろ姿。ずっと、彼を守ると誓った時から、その背中を見つめてきた。
自分のするべきことを肝に銘じ、何も求めずにいようと思っていた。
あの時哀しかったのは、自分の存在を忘れられた気がしたから。
だが。
彼は、いつでも俺のすぐ側にいたのだ。
見えなくなってから、見えるものがある。
今それを感じている。 |