庭に面した廊下を歩いていて、危うく踏みつけそうなった塊を土方は、見下ろした。それを忌々しげに眺め、今度は意識的に踏みつけてやろうかと一瞬足を浮かしたとしても、多分誰も土方を責めないだろう。
その足元、幹部クラスの隊服を着た青年がふざけたアイマスクを付け惰眠をむさぼっているのだから。
隊服を着ている、という時点で、もうこの青年、沖田総悟が出勤日ということであり、この堂々としたサボタージュは下の者への示しもつかない。
だが恐らく、土方が行動に出たとしても、勘の鋭い総悟に浮かした足の裏をひっくり返されて転ぶか、アッサリ避けられ踏みつけ損ねてたたらを踏むかのどちらかなので、『あの頃の自分の爪の垢でも貰ってきやがれ』と心の中で毒づくだけに留めておく。
あの頃の、殊勝なことを言っていたお前は、どこにいったんだよ?
「大体、自分の仕事もしねーで、遊び呆けてたら誰だって怒られんのは当り前じゃねーですかィ」
いつの頃かもう定かではないが、酒を飲みながら天の河を見上げ、近藤がこの日にまつわる物語を語った際、それを聞き終わった総悟がアッサリと切り捨てた。
「や、総悟くん。そういう話じゃない気がするんだけど・・・」
ロマンチシズムと図体は反比例するらしい。
実は、体の大きな近藤が一番こういう物語に心を動かされ、外見だけなら美少年と言える総悟が一番現実的だ。
なら、その間に属している土方はと言えば。
事なかれ主義。
元々、自分にも他人にも興味の薄かった土方だが、最近はこの小さな子供にやり込めされそうになっている、隣の気の好い大きな人間に感化され、興味ぐらいは持つようになった。
ただ、元来の性格がそんな感じなので、興味のないことに関しては、『あぁ、そんな意見もあるよね』ぐらいのスタンスに留めておく。
この物語を聞いて、切ないと感じる近藤の意見も、自業自得と感じる総悟の意見も本当。
「大体、一年に一度だって逢えるんなら良いじゃねーか」
好きな人と二度と逢えなくなるわけじゃないのなら。
思わずと言った感じに総悟の言葉がぽとりと落ちる。
一瞬、近藤が言葉を止め、総悟も口を噤んだ。
「総悟、寂しいか?」
近藤の大きな手が、総悟の小さな頭をぐりぐりと撫ぜる。その下で、ふい、と視線をそらした総悟がふるふると首を振った。
「おれが好きなひとは、近藤さんと姉上だから」
「そうか。俺も総悟が大好きだぞ」
多分、この総悟の意見も本当。だけど、時には姉と2人きりの生活を寂しいと感じるのもきっと本当。
頭を撫ぜられ、しまったと嬉しいと照れ臭いがない交ぜになった表情の総悟の顔を眺めながら、土方はそう感じた。
「今日は、夢の中で逢えるかもしれないな」
「そんな、幽霊に化けで出られても困りまさ」
その日はそのまま、沖田姉弟は近藤の家に厄介になり、総悟は大好きな2人と布団を並べて一晩を過ごしたのだった。
指先がぴく、とけいれんを起こし、ふざけたアイマスクの下の唇が動いた。そろそろ覚醒が近いのかも知れない。そう判断して、土方は足を浮かし、結局踏みつけるのではなく軽く蹴りを入れた。
「ん・・・」
「いい加減起きろ、いつまで惰眠をむさぼってやがる」
むくりと、半身を起した総悟は、しかしいつものように憎まれ口を叩くわけではなく、ぼんやりとアイマスクを外した。
まだ、半分夢の中に浸っているような表情。
「あれ?、ひじかたさん・・・?」
「おう、土方さんだよ。てめー仕事する前に一休みたァ、どういう了見だ?」
とりあえず、顔洗って頭をすっきりとさせろ、と踵を返すと背後で、今度は呼びかける声が聞こえた。
「姉上が、いました」
視線は空を見上げたまま、ぼんやりと呟く。
土方も視線を合わせ上へ向けると、この梅雨時期には珍しい青空が広がっていた。
「そうか」
もしかしたら、今年は夜空を流れる大河も見られるかも知れない。
「1年に1度の逢瀬に来たんじゃねーの?」
「しつれーな、姉上はそんなに無沙汰を働く人じゃありやせん」
つーことは、何度も夢枕に立っているってことか。
幸せものじゃねーか、オイ。
「なら、アレだ、アレ」
1日早いお祝いでも言いに来たんだろうよ。
この空の上で柔らかい顔立ちの彼女が「ふふ」と笑ったような気がした。 |