その光景を見つめながら、ううむと彼は眉間に皺を寄せて唸っていた。
目の前にはラッピングされた色とりどりの箱と、『大好きなあの人へ 想いを込めて』などという、なんともベタな煽り文のボード。それから、そこに群がる女性たちの熱気。
大江戸スーパーの特設催事場、バレンタインコーナーの前でかれこれ20分ほど、16歳の少年、志村新八はそこから動けないでいた。
バレンタインデー。元々は別の意味合いを持った記念日だったらしいが、ここ大江戸の風習としては『女性が好きな男性にチョコレートと一緒に思いを伝える』ということになっているらしい。
まだ、この習わしが入ってきて浅いものなので、新八も例に漏れずどれだけの女の子からチョコレートが貰えるだろうか、と楽しみにしていたものだったのだが。
そもそも、自分は貰う立場であって、渡す立場になるのっておかしくないだろうか?とか、この女の子の群れの中に突撃していくのって勇気がいるよな、『あ、あのメガネ、貰える予定がないから見栄張りに買い物来てるわ、はずかしー』とか思われるに決まってるとか、ぐるぐると考えているうちに、にっちもさっちも行かずに、立ち往生という次第。
それというのも
「くそう、あの天パ・・」
「それって旦那のこと?」
思わず口についた恨み節に答える声が聞こえて、思わず、うひゃあ、と声を上げてしまった。
振り返ると、新八と同じくらい地味な顔見知りが背後に立っていた。
「山崎さん・・・・」
「こんにちは、新八くん。なんだか、すごい顔していたよ?」
何だかんだと縁のある真選組の監察方、山崎がやはり買い物かごを持ってにこにこと笑っている。とりあえず挨拶を返し、相手のかごの中を覗くと、そこには、ブロックチョコがいくつか入っていた。
「山崎さんもバレンタインですか?」
新八の問いに、山崎も自分のかごの中身を確認して、あぁ、と小さく声を上げた。
「真選組は、男所帯だからね。目立つ副長とか沖田隊長とかは兎も角、彼女がいなけりゃ貰える確率なんかゼロに等しいんだよ」
その一言に、新八の瞳に疑惑の色が浮かんだ。
「まさか、山崎さん、そのチョコは・・・」
「いや、俺の見得張り用じゃなくてね!。ほら、うちのリーダーはお祭が好きな人じゃない?」
「あぁ、近藤さん」
「少しでも、平等にバレンタイン気分を味わって貰おうってんで、14日の談話室には、誰でも摘めるようにチョコを置いておくことになったんだ」
徳用チョコじゃ味気ないから手作りにしてね、と付け足しのように言っていたが、その辺りは、山崎本人のアイデアだと思われる。相変わらず、細かいところにまで気遣いする人だなあ、と新八は内心感心をしてしまった。そんな新八の思いなどには気付かず、向いに立つ男は「それにさ」と付け足した。
「なんだか、モテのバロメーターみたいなイヴェントだけどさ。俺個人としては、お世話になっている相手になら、性別関係なく誰にあげても良いんじゃないかなって、思うんだ」
性別関係なく
お世話になっているのなら
この人ってスゴイ!。
新八は今、心から山崎に敬意を表した。
今まで、新八が悩んでいたあれこれを、年上の地味仲間は難なく飛び越えてしまったのだから。
「そういえば、新八くん、チョコレート見ながら万事屋の旦那に文句言っていたみたいだけど、何かあったの?」
思い出したように問いかける山崎に、慌てて首を振って笑顔を向けた。
「良いんです。山崎さんのお陰で解決できましたから」
ぺこり、と頭を下げると、少年はギフトコーナーではなく、製菓コーナーへと歩き出した。
2月14日、バレンタインデー。
万事屋の主、坂田銀時は内心そわそわしていた。
ジャンプは今週号も先週号も何度も読んだ。しかし、内容が頭に入ったか?、と言われればまた別の話になってしまうのだが。
文字は追っていても、内容が頭に入ってこない。あんなこと言わなけりゃ良かったという思いだけが、頭の中をぐるぐると駆け巡っていた。
銀時は、ジャンプから顔を上げ、時計を見る振りをして少年の後姿を目で追った。
普段どおりに甲斐甲斐しく雑用をこなす彼は、もしかしたらこの日を忘れてしまったんじゃないだろうか。
彼に気付かれないように、小さくため息を落とす。
やっぱりあんなことを言うのは間違いだったんだ。結構ガラスのハートなのに、無理しちゃったなー、などと悔やんでも悔やみきれない。
数週間前、お昼の情報番組でバレンタインの特集を昼食をとりながら2人で見ていた。ちょうど神楽は、近所の子と遊ぶ約束をしていて出掛けた後だった。
有名菓子店の限定チョコを見ながら、ぼそりと呟いた台詞。
「銀さんもさ、あぁいう特別なチョコ食いてぇなー・・・」
食後のお茶を啜っていた新八は、ことりと湯飲みを置きながら、向かいに座る銀時に冷たい視線を浴びせた。
「何言ってんスか、あんな高級菓子買える余裕があったら、特売肉買い溜めますよ」
「・・・・・。まあ、金額云々は抜きにするとして」
「誤魔化すなよ、仕事探せよ。マダオが」
「この際、特別な誰かから貰えるチョコでも、高級チョコほどの価値があると、銀さん思うわけよ」
「誤魔化しやがったな、天パ」
家計を預かる少年の冷たい視線をものともしないで、銀時は想いを込めて一言彼に呟いた。
「どう思う?、新八」
どんなに鈍くても、元々人の心の機微には聡い子だ。銀時の言わんとしている事をついウッカリ汲み取ってしまったのだろう。うっと声を詰まらせると、湯飲みの底に残っていたお茶を飲み干し、知りませんよと言って食器を纏めて台所に行ってしまった。
それから、その話題はお互いに触れないで今日に至る。
あの時、察してくれたと思ったのは、気の所為だったのかなーと、ガラスのハートの持ち主は再びため息を吐く。
そろそろ日が傾き、少年が帰る時間が近づいてきた。
「じゃあ、銀さん。夕飯の準備ができましたから、ここに揃えておきますね。神楽ちゃんにも、食べ過ぎないように言ってください」
「うぉーい・・・」
銀時はジャンプに視線を落としながら、おざなりに返事をする。
あぁ、やっぱり鈍感は鈍感なんだ、とガラスのハートをハンマーで叩き割ろうとした時、銀時の耳にそれからと小さな声が届いた。
真っ直ぐな性格を現すように、すっぱりと言葉を紡ぐ彼らしくない何かを迷ったような声。それを不審に思い銀時がジャンプから顔を上げると、目の前に立った少年は視線を床の木目に落としながらつっけんどんに右手を前に出した。
「これ。いつもお世話になっているお礼です」
高級菓子店の包みではなく、いかにも手作り感溢れた小さなギフトボックス。恐る恐る受け取り蓋を開けると、チョコレートの塊が3つ。恐らく、トリュフチョコのつもりなのだろう。いびつなその形からは、新八の手先の不器用さと一生懸命さが伝わってきた。
「え?、手作り?」
「姉上が!。お店で手作りチョコ企画をするからって!。暗黒物質を作らせないようにするのなら、僕も一緒に作った方が良いかなって!」
慌てて言い繕う新八の真意は分からないが、手作りは手作りだ。同じ箱を出し「こっちは神楽ちゃんに」とテーブルに置く。
ガラスのハートにハンマーを振り下ろさなくて良かった。グラス磨き用のクロスを持ってきて、ピカピカに磨き上げたい気分だ。
銀時は、その中の一つをつまみ出し、口に運ぶ。大事に味わうように咀嚼を続けた。
「・・・・・新八くん」
「何ですか?」
「これ、苦いよ?」
「銀さん相手に、ミルクチョコレートなんか使うわけないじゃないですか。カカオ75%です。文句があるなら返せよ、糖尿予備軍」
今にも、箱を取り返そうとのびてきた小さな手から贈り物を守るように、銀時は慌てて引き出しの中に箱を隠した。
「とんでもない、有難くイタダキマス」
10円チョコ1個でも良い。そう思っていたのに、少年の想いが詰まったものを貰うことができた。それが、銀時の想いとは同じものなのかは分からないが。
こういうことをさらりとするから、手放せなくなる。目の前で、怒ったように眉を顰めている少年は、そこのところを分かっているのかどうか。
思いがけず、良い一日になったことに、とりあえず、銀時は満足をした。 |