その日、真選組副長・土方十四郎は、とても疲れていた。
上にも下にも問題児を抱えたフォローの達人とはよく言ったものだ、と過労で回らなくなっていた頭でぼんやりと思うほどには。
さすがに大型連休前で、上の問題児行為はほぼ0に等しい。普段は、ストーカーだゴリラだと言われながらも、やはり一組織の長なのだ。彼が頂点で腰を据えているだけで隊内の空気がぴりっとすると感じるのは、土方の贔屓目ではないだろう。こういう、メリハリのある態度はさすがだと思う。
問題なのは、下の問題児。
目の前の枯れ草色の頭を見ていると、ここ最近の行動が嫌でも思い出されて、咥えていた煙草のフィルターをぎりぎりと噛み切りそうになってしまった。
コイツは、本気で俺のことを亡き者にしようとしているんじゃねぇだろうな。
死因は過労死で。
4月の春の交通安全週間から始まって、月末から始まる大型連休の警戒態勢などの準備。
局長である近藤は、こういう方面にはめっきり弱いので、これらの仕事は土方に全部回ってきてしまう。それは覚悟していたことなので、別にかまわない。
ただ、、通常勤務の他にそれらのことをこなしていて、正直土方は、ここひと月猫の手も借りたいほどの忙しさだったのだ。
それが、4月も中ごろになってきた辺りから、猫というより猫又の手が欲しくなってきた。
アレ?、猫又って手足じゃなくて、尻尾が分かれているんだっけ?
人ではないものを極度に怖がる土方が藁にもすがる思いで、助けを求めた原因。
それは、朝の報告時に山崎がおもむろに出してくる1枚の紙。
「副長、沖田隊長が昨日の捕り物中、『でにぃず』のガラスを割って器物損壊で苦情が寄せられました。始末書提出だそうです」
それが、日を追うごとに2枚3枚と増えてきて、とうとうキレた土方が「総悟に書かせて持ってこい!」と叫ぶようになるまで、時間はかからなかった。
しかし、総悟の書く始末書というのが『ごめんなさい。はんせいしてます(はぁと)』の一文。それを見た時に、土方はこのまま卒倒して夢の世界に旅立てる、本気で旅立ってやろうかとすら思ったほどだ。
・・・・・まあ、別の仕事が山積みだったので、それは回避したが。
そんなわけで、頭が空の総悟のために、元々短い睡眠時間を削って、毎朝始末書作成のレクチャーをするのがここ最近の日課として埋め込まれた。ただでさえ、書類やシフトや要綱作成で自室に篭りがちだった土方は、すでに軟禁状態と化している。気分転換をするために外に出る時間すらも惜しい、疲労は増すばかり。その内、日報と一緒に胃薬が添えられるのも時間の問題だと思われた。
「土方さーん」
そのイレギュラーな日課の元凶である総悟は、ぐりぐりと筆を動かしながらおもむろに口を開く。とりあえず、書類作成はやっているようなので、煙草の灰を灰皿に落としながら、おざなりに返事をしてやった。
「あ?」
灰皿の灰はうず高く積みあがっていて、毎朝片付けているはずの山崎の苦労も報われねぇな、と土方は、煙と一緒に溜息を零した。灰皿を変えるたびに、山崎から小言を言われるのも『母ちゃんかよ・・・』とイラッとはするが、土方の体を心配してくれているための小言というのも、頭では理解している。舌打ちで我慢してやっているのは、その所為もあるが、殴る気力もない所為だとは、分かっているのだ。
「今、願いが叶うなら、何をお願いしやすか?」
そこまで身も心もボロボロになっている土方が、そう尋ねられて出した答えがそれだったとしても、誰が責められるだろう?。
短くなったそれの最後の一服を味わい、灰皿に押し付けると、きっぱりと言い切った。
「オメーが、問題を起こさない、平穏な日々が欲しい・・・」
大型連休も、終盤に差し掛かったその日、珍しく土方は定刻どおりに目を覚ました。
昨日は、総悟がどこからも苦情を出さなかったので、始末書レクチャーの時間がなかった所為だ。
すらりと中庭に続く障子を開けば、爽やかな目覚めに良く合う快晴。心地よい風が空を泳ぐ魚の手助けをしている。今日は幸先が良いな、と気分よく食堂に行けば、すでに隊士達は集まっていた。
「トシ!おはよう!」
トレイを持ってうろうろしていると、近藤が手を振って挨拶をする。その隣に腰を据えて、赤いキャップを捻っていると、山崎が向かいの席にトレイを置いた。
「副長、おはようございます。日報は食事の後に」
「それにしても、トシが食堂に来るの久しぶりだなぁ」
かかと笑う近藤の隣で、卵の黄色をマヨ色で溢れさせつつ、土方が答える。
「ここ数日、シフト以外に余計な仕事を入れていたからな」
余計な仕事がなければ、ゆっくり食事を摂ることができる。昨日まで、総悟と一緒に握り飯を齧りながら書類作成していた方がおかしいのだ。
そういえば、その握り飯の相手だった総悟の姿が見当たらない。食堂を見渡しても、あの特徴のある枯れ草色の髪が見当たらないのだ。
「そう言やあ、総悟は?」
味噌汁を啜りつつ、誰に聞くでもなく呟けば、山崎が鮭の切り身を口に運びながら答える。
「沖田隊長は早朝番で、1時間前に巡回に出かけましたよ?」
今のところ何の連絡もないってことは、まだ問題を起こしてはいないらしい。良いこと尽くめで、申し訳程度のワカメが引っかかっている薄味の味噌汁すら極上の料理に思えた。
このまま平穏無事な1日をと願いつつ、執務室に戻ると土方は書類の作成に入った。
広い部屋の中、聞こえるのは紙をめくる音とライターを擦る音。集中が持続した所為で連休明けに提出する書類もスムーズに終わらせられた。
最後の一枚に自分の署名を入れ、うーんと伸びをすると、体中がバギバギと声を上げる。思ったより、長い時間机に向かっていたらしい。昨日まではなかった体中の凝りを不審に思っていると、障子の向こうで静かな声が聞こえてきた。
「副長、よろしいでしょうか?」
遠慮しがちな山崎の声音に、土方は無意識に身構える。とうとう、破壊魔の報告が入るのか?と。
しかし、山崎は障子を遠慮がちに開けると、ここ最近見慣れてしまった書類ではなく、緑の葉に包まれた和菓子を携えていた。
「休憩しませんか?。本日のおやつを持って来ました」
「は?」
「何か?」
「いや・・・」
土方が違和感を覚えて首をひねっている間にも、山崎は流れるような所作で湯飲みに緑茶を注ぎ、文机の空いたスペースに並べる。その皿の上の菓子を手に取り、厚手の葉を剥きながら、呟いた。
「おやつなんて久しぶりだな」
土方の呟きに、山崎が苦笑しつつ答える。
「イヤ、副長。おやつ自体は毎日出ていたんですよ。ただ、副長が召し上がれなかっただけで」
「あ?」
「副長のおやつ、昨日までは沖田隊長が横取りしていたじゃないですか」
ほら、おやつ時になると、なぜか沖田隊長が現れて。と言われれば、土方の脳裏にも昨日までの死闘がアリアリと思い出された。「だんごが可愛そうなマヨだんになる前に、助けてやっているんでさァ」と小馬鹿にした口調までが見事に再生される。
そこまで言うんなら、このまま食ってやろうじゃねぇか!。土方は、取り出した黄色いチューブを傍らに置くと、とここにはいない子供に挑むように、目の前の菓子に齧りついた。
しばらく咀嚼し、それを飲み込むと後ろに控えていた山崎に声をかける。
「おい、山崎」
「はい?」
「残り、お前が食え」
「は?」
「考えてみりゃあ、俺ァ、甘いものは得意じゃないんだよ」
「あぁ、なるほど。じゃあ、遠慮なく」
山崎は、差し出されたそれを受け取ると、嬉しそうに齧りついた。今日のお菓子は可哀想なマヨになっていない。珍しいことだが、それは歓迎するべきた。
「疲れたときには、甘いものって言いますしね。そう言えば、今日は沖田隊長の姿が見えませんね」
山崎は、ややたれた目をくるんと上に向ける。何かを思い出しているように空中の一点に視線を固定させて口だけをもぐもぐと動かし、そして、それを嚥下すると思い出したというように「あぁ」と呟いた。
「早朝番だから、今頃は、道場で剣の稽古をつけているところですかね」
土方は、のほほんとした監察方を気持ち悪いものを見るように眺める。
「お前、総悟のストーカー?。何で総悟の予定が頭に入ってんの?」
「イヤ、沖田隊長がどうこうと言うわけじゃなくて、このシフトの人は、この時間はこうって、大体把握できるじゃないですか」
「・・・・・。だな」
「どっちかって言うと、普段の沖田隊長がいつも突拍子のないことしているから、どこにいるか把握しづらいですよ」
ということは、今日1日、総悟はシフト通りの行動をしているっていうことなのか?。
一体どういう風の吹き回しだ?、と薄ら寒くなり、土方はまだ温もりの残る緑茶を啜った。
結局、今日は枯れ草色の頭を一度も見ることなく、土方の1日が終わろうとしている。
休憩の後、残りの書類を終わらせ夕餉の食堂へ向かうと、他の隊士は目に入るのに、特徴のある枯れ草色の頭だけが見付からない。訊けば、早朝番の総悟は、早々に食事を済ませ自室に戻ったそうだ。
今日の仕事ははかどり、気分が良い筈なのに、別の場所では何かが引っかかっていて気持ちが悪い。何か物足りないものを感じる。
それが何かが分からないのが更に追い討ちをかけ、空虚感は増すばかり。こういう時は風呂に浸かり寝てしまおうと決めて、寝支度をを整えてから湯殿に向かった。
自室に戻り布団に潜ると日頃の疲れもあってか、布団に入った途端に急激に眠気に襲われた土方は、夢の世界に委ねようとしたところで寝入りばなをくじかれてしまった。
マヨラーでも武士、小さな物音には敏感だ。薄く目を開けると、1日ぶりの特徴のある色の頭を視界が捕らえる。半分、夢の中に潜り込みながらも、その唯一の名前を呼んだ。
「総悟?」
「へィ」
深夜を慮ってか、総悟が返す声音は静かに響く。日中の人を食ったようなトーンではない心地よさに、もう少し会話を続けたくなった。
決して、不満を言いたかったわけではないのだ、会話を続けたかっただけ。
「お前、1日どこ行ってたんだ?」
「どこって・・・」
困惑の色をありありとその声音に乗せながら、『仕事してやした』と至極もっともな答えが返ってきて、土方は自分でおかしくなってしまった。。
「そうだったな」
「今日1日、ちゃあんとしたシフトをこなせば、俺とアンタはおはようからおやすみまで1回も顔を合わせずに過ごすことになってたんでさァ」
昨日まで、目の端にチラチラとこの目の前の子供が視界に入っていたのが、今日1日ぴたりとなくなったのはそういうことだったのか、と合点がいった。
それどころか、ここ最近は忙しさにかまけて副長室に引きこもりがちだったため、総悟どころか山崎以外とは会わずに毎日を過ごしていたかもしれない。そう納得する土方の耳に、独特のテンションの声が落ちてくる。
「誕生日プレゼント、お気に召しやしたかィ?」
瞼の重さはまだ健在だが、思いもよらないことを言われ、瞼がぴくりと持ち上げられた。
「プレゼントってなんだよ」
「アンタ、この間、願いが叶うなら俺が問題をおこさねェ日々を過ごしたいって言ったじゃねぇですかィ」
せっかくなんで、今日1日の大盤振舞でさァと、土方の黒髪に1度触れたかと思うと、静かに立ち上がる衣擦れの音が聞こえた。
おやすみなせェと呟く声と共に総悟の気配は障子の向こうに去って行く。それと引き換えに、土方の下に再び眠りの神が降臨して来たので、その手を素直に取った。
今日1日、何事もなく平穏な日々。
それが何となく物足りなく感じてしまうというのは、どれだけあのワガママな子供に振り回されているんだろう。夢うつつの中、土方は自分でもおかしくなる。
きっと、明日からまた一番隊隊長の大暴れの日々が始まるのだ、それを考えると、気が滅入るが、それに期待している騒がしい日々に慣れてしまった自分もいる。
明日からの騒がしい日々に想いを馳せながら、土方は夢の世界へと旅立った。 |