その日、真選組監察・山崎退は、かなり機嫌が良かった。
と、いうのもニコチン不足で不機嫌の権化に八つ当たりをされたり、眉間に皺の寄った上司と顔を突き合わせることからも開放されたので。
1週間という期間は、自分の想像以上に長いものだったんだ、と久しぶりに臨む屯所の変わり栄えのしない中庭すらも愛おしくなる。
うーん、と想いっきり伸びをしていると、隣の障子がすらりと開いて、隣の住人がひょっこりと顔を出した。
特徴のある枯れ草色の髪。この半分夢の中に足を突っ込んでいるようなぼんやりとした顔を見るのも久しぶりだなあ、と山崎は、この年下の上司を微笑ましく見つめた。どうやら、視線を感じたらしくかの青年、沖田総悟は2.3度瞬きをすると、視線のある先へ顔を向け、その男を見止める。
「…………。やまざき?」
「おはようございます、沖田さん。お久しぶりですね」
役職ではなくあえて『沖田さん』と呼んだのは、今は仕事中ではない、と実感したかったから。ようやく味わえる開放感に、自然と笑みもこぼれてしまう。
だが、次の沖田の言葉で表情は見事にフリーズしてしまった。
「やまざききらい。しねよ」
一体俺がなにをしたって言うんだ!。
その晩、近くの呑み屋で、山崎を囲んで飲み会が行われた。
1週間もの間、あの拷問のような任務によくぞ耐えた、という労いの会だったはずなのだが、酔っ払って管を巻く山崎のお陰でグチ大会のように内容が変わってしまったが。
「1週間ぶりに、娑婆に戻ってきたと思ったら、いきなり『しねよ。きらい』ってナニ?!。俺心当たりがまったくないんだけど!!」
お猪口などという可愛いものではなく、コップ酒を呷りつつ山崎が盛大に愚痴をはいている。その隣では、原田をはじめとした、気の合う数人が、うんうんと肯きつつ、空になったコップに酒を満たしていく。こういう時は、下手な反論をせずにおとなしく聞いてやるに限る。
「でも沖田隊長、半分寝惚けていたんだろ?。もしかしたら、ぼんやりとしていて出た台詞かも知れないじゃん?」
「無意識に出た台詞なら、なおさら本心に近いってことじゃないかー!!!」
下手な反論をすると、火に油を注ぐように騒ぎは大きくなる。突っ伏して泣き出した山崎を抜かす全員が油を注いでしまった男に向かってじっとりとした視線を送る。
「そもそも!」
突っ伏したと思ったら、がばりと起き上がり大声で叫んだ。酔っ払いは、泣いたり怒ったり叫んだりと忙しい。
「ここ1週間、俺、沖田隊長とは逢っていないんだよ。俺が毎日毎日顔を付き合わせてたのは副長であって、沖田さんじゃない!。副長の世話をし始めた日に障子越しで喋っただけだし!」
「案外、それが原因なんじゃねぇの?」
隣の原田が、だし巻き卵をつまみつつぽつりと言った。
「なにが?」
全員の視線が、もぐもぐと卵を租借する原田に注がれる。ごくりの飲み込むと、だからさと続けた。
「山崎が沖田を副長から離して、自分は毎日毎日、副長と一緒にいたのが面白くないんじゃないかってこと」
「だってしょうがないじゃないか。副長、インフルエンザだったんだから」
大江戸で猛威を振るっていたインフルエンザは、屯所にも流れ込んできた。どうやら、そのウィルスを持ってきたのは、恒道館道場にお妙の見舞いに行ったはずの近藤で、更に1度罹ったため、当の近藤はピンピンしており、今は松平の供で京都に出張中だった。
そんな中、インフルエンザに罹ってしまった土方は、これ以上感染者が増えれば、不測の事態に対応しきれない。そう判断して、天の岩戸よろしく副長室に閉じこもってしまったのが1週間前の出来事だった。
山崎という、伝達係の人身御供を連れて。
インフルエンザというのは、熱が上がってから最低1週間は、外部との接触を断たなくてはいけない。山崎は、熱を出す土方の看病と外部との連絡係という役割を押し付けられた形で1週間土方の顔しかまともに見ていない生活を送る羽目になってしまっていたのだった。
確かに、初日に沖田はやって来た。
「ひーじかたさーん、風邪ですかィ?」
歌うように節をつけて障子を開こうとした姿が逆光になって障子紙に写る。
「開けんじゃね・・・っ」
罹り初めで熱が上がり、咳き込む土方の代わりに、山崎が障子を押さえつつ訴えた。
「すいません、隊長。副長は風邪じゃななくて、インフルエンザに罹ったみたいなんで、1週間はこの部屋、立ち入り禁止ですよ」
『インフルエンザ?』と首を傾げる動作で、この青年の表情までもが何となく分かってしまった。相変わらずの無表情。それに疑問符をひとつ足したような。
「何で、山崎は良いんでィ?」
「俺だって、好きで一緒にいるわけじゃないです」
山崎の暴言に背後から、覇気のない「やまざき〜」という声が聞こえた。今は、土方も弱っているから、言いたい放題だ。1週間後のことなぞ知るものか。
「熱を出した副長の看病と、局長不在で休んでいるわけにはいかない副長と隊士の皆さんとの連絡係です」
その言葉に納得をしたのか、「ふーん」という呟きと供に影がくるりと踵を返して、土方の部屋から離れていくのが分かった。
それから1週間、沖田は土方の部屋には近づかなかった。
それから1週間、山崎は自衛のためにマスクをしながら、看病と伝達係と咳のため煙草を吸えない苛立たしさで暴れる土方のサンドバッグ役と身を粉にして仕事を全うしたはずなのに。
今朝の「しね」発言で完全に打ちのめされてしまった。
場面は戻って居酒屋の面々。
原田は、ホッケの身をほぐしながら話を続ける。
「沖田の部屋って、副長の部屋の隣だろ?。ふすま一枚、壁一枚なんて会話とか筒抜けだったんじゃねぇの?」
あんなに、副長かまって憂さ晴らしをするのが好きな沖田が、病気の副長なんて格好の餌に近づけない上、そのベストホジションには山崎が陣取っていたらやっぱり面白くないんじゃないかってこと。
「それが、しね・きらいの理由?」
「まあ、俺の当てずっぽうだけどな」
ほぐした身で築いた白身の山を口に運びながら原田が言った。
「つーかさ。ソレ。山崎のことなんて言うんだ?」
むさい男共が頭を突き合わせて、うーんと唸り同時に言った。
「当て馬?」
遊び道具を取られていじけて暴言を吐く上司。山崎の身の危険も歯牙にもかけずに使い走りをさせる上司。
挙句の果てに、人の不幸を肴に言いたい放題の同僚。
当の山崎本人は、酒で攪拌された頭で恵まれない人間関係を嘆き、本気で転職を考えそうになった。 |