いつも見慣れている風景が、初めて見るものに感じたり、毎日逢っているのに数年ぶりの再会に感じたり、奇妙な感覚に襲われるのは、誰しもあると思う。
まさに、今、土方が感じている感覚だった。
江戸に出て間もない頃。ようやく、洋装の隊服が己の体に違和感を覚えなくなった頃だった。
いつもの巡回中、枯れ草色の頭をふよふよとなびかせて歩く少年を見て違和感を覚えた。
「アレ?、総悟?」
「なんでさァ」
「お前、背伸びた?」
土方の問いに、胡乱気に視線を送り、またつまらない表情で進行方向に戻した。
「それは、いつから比べての話ですかィ?」
「いつって…」
「江戸に来てからなら8センチ、この間の健康診断から比べても3センチくらいは伸びているんじゃないですかねィ」
アンタと違って成長期ですから、とにししと笑う。その軽口に土方は、うるせぇよと後頭部を軽く叩いて返した。
「ちなみに、この服もおニューでさァ」
「何で?」
「アっという間にサイズが小さくなりやした。勘定方が愚痴るんでさァ。いくら作っても間にあわねェって」
だからと言って、体が服の中で泳ぐようなサイズの隊服では、何かがあった時に危険を伴うので、体に合わせたサイズの隊服を用意せざるを得なくなる。
勘定方も大変だァと呟く総悟の顔つきが柔らかい、どうやら機嫌が良いらしい。
「ご機嫌じゃねぇか」
そんなに貧乏集団の金を使わせて嬉しいか、コイツどこまでSなんだよと、心の中で毒づくが、返ってきた言葉は、土方の想像していたものとは違っていた。
「もっと、デカくなって力も付けないと。近藤さんに頼りにされるくらいに」
「総悟?」
「だって、俺たちがここに来たのって、そういう理由でしょう?」
思わず立ち止まった土方の顔を真っ直ぐに見つめ返して言い切る。今の土方の目には、自分の知っている『沖田総悟』という少年とは知らない誰かに映った。
何も知らず、『江戸』という華やかな場所への憧れだけで、近藤のあとをついて来たものと思っていたのに、土方が思っているよりもずっとここへ来た意味を理解していたのかも知れない。
例え、それが頭ではなく野生の勘というものであったとしても。
確かにそうでなければ、あれだけ慕っていた姉を一人残したまま、遠く離れることはなかっただろう。
土方は、和装から洋装に代わっても変わらず懐に入っている煙草の箱を取り出して、一本引き抜いた。火を点け煙を深く体の中を循環させる。
「そうだな。間違ってねぇよ」
まだまだ子供だと思っていた少年が、一人の青年として映る。それはとても頼もしいことであると、頭の中で理解しているはずなのに、それを手放しで喜べない自分がいることに、土方自身が戸惑っていた。
土方は、まだ長いままの煙草を投げ捨て、革靴の踵でぐいぐいと踏みにじった。
「行くぞ、総悟」
「へィ」
踵を返して、また巡回を始める。後から歩きだした連れの、小走りに近い足音が聞こえたと思うと、ふよふよと揺れる枯れ草色の頭が土方の視界に入った。
ちらりと、青い瞳が土方の黒髪を捉えたのは一瞬。それからはお互いに何も話さず、屯所までの道を進んた。
時は流れて、総悟は18歳になり、驚くほどに伸びていた背丈も、緩やかな曲線に変わったようだ。それでも身体つきは、あの頃から比べるとかなり男っぽくなり、誰が見ても『少年』というよりは『青年』と言った方がしっくりするほどに成長した。
あれから、屯所の規模が大きくなったり、江戸の町を天人が蔓延り、それに違和感を覚えなくなってきたり、お互いに知り合いが増えていったり、二人の周りがあの頃と比べて緩やかに変化をしていたが、二人の間が何か変わったということはない。
相変わらず、総悟はSぶりを如何なく発揮し、土方の失脚を陰日向なく狙っているし、土方はそんな総悟の命懸けの悪戯を、ぎりぎりのラインでかわす毎日で。
そんないつもと変わらない巡回中に、総悟がふ、と思い出したように呟いた。
「あの時」
「あ?」
「ここに来たばかりの時、背が伸びたって話したこと覚えていやす?」
「あ、あれね…」
そう問われて、土方はあの時の不思議な感覚と、言いようのないもやもやとした感情とともに思い出す。それには気付かないまま総悟が言葉を続ける。
「あの時、デカくなりたいって話をしたと思うんですが、実は理由がもう一個ありやして」
あの頃から馴染んだ隊服の懐から、煙草の箱を取り出して一本咥えた。
「一つの理由は、近藤さんだけど、もう一つの理由はアンタでさァ」
「俺?」
「厳密には、アンタの歩幅ですがねィ。
俺がチビの頃は、当然だったけれど、アンタの歩く速さに付いていけなかったんでさァ。どうしても走らないと間に合わねェ。で、でかくなって歩調を合わせても隣を歩けるくらいになろうって、その頃に誓ったんでさァ」
残念ながら、目標にはちぃと及びそうにないですがと見上げる青い瞳は、あの時の奇妙な感覚を呼び起こした。それを見ないように心の中で蓋をしつつ煙草をくゆらせる。
「で。目標はどれくらいだったんだよ」
「1メートル」
確か、あの頃の総悟は土方の腰の辺り、100cmくらいはあっただろう。
「アホかァァァァ!俺の身長どころか、近藤さんの背丈も楽々クリアだわァ!!!!」
「夢はデカく持った方が良いじゃないですかィ」
「でかすぎだろうが!。バスケ選手かっつーの!」
短くなった煙草を携帯灰皿に突っ込みつつ悪態を吐く。その隣で、総悟が相変わらず純粋とは言えない笑顔で土方に笑いかけた。
「とりあえず、良いんでさァ。アンタと肩を並べて歩けるようになったから」
にししと笑う総悟に、再びあの感覚がひょこりと頭を出した。
いつも近くにいるのに、初めて見るような不思議な感覚。
その感覚が、見てはいけないものを見てしまったように感じられるのは、何故だろうか。
ただ、それが分かってしまえば、近藤のためと聞いて喜べなかったのも、隣を歩けると喜ぶ総悟が気になるのもすべてに合点がいく。
いつも見慣れている風景が、初めて見るものに感じたり、毎日逢っているのに数年ぶりの再会に感じたりする、奇妙な感覚。
それの大元が、眼の前の総悟にではなく、自分の心の中にあると、土方が受け入れてしまうのは、もうしばらく先の話である。
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