きっかけは、田島の何気ない一言だった。 「そー言えばさあ」 天才的な運動センスを持つ4番の彼は、正に「紙一重」を地で行くキャラクターで、時々突拍子もないことを言い出す。今回は何を言い出すんだろう?、と他の9人の視線が差し入れのチョコレートを摘んでいる田島に集まった。 「しのーかの本命って居ないのかな?」 2月14日、バレンタインデー。元々自由な校風の所為か、今日、西浦高校の校舎の中では本命チョコだけではなく、義理チョコも多く飛び交っていた。それは、野球部の面々も例外ではなく、クラスの女子から「義理だからね!」と念押しをされながらもチョコレートを押し付けられた部員も居る。その中に、本命が紛れ込んでいるかもしれないが、それは渡した本人しか知る由はない。 放課後、一日のメニューをこなした彼らが部室のドアを開けると、テーブルの上の可愛らしくラッピングされた箱が目に入った。その上にルーズリーフの切れ端が乗っており、そこには「お疲れさま」というメッセージと、マネージャーと監督の名前が連名で書かれていた。 「チョコレートだ!」 早速包みを開けた田島が嬉しそうに摘み始める。 「篠岡とモモカンからの義理チョコだな」 下手すると、一箱丸々食べてしまいそうな田島の首根っこを、花井が掴んで箱から遠ざける。 「俺、正直、モモカンからチョコレートが来るとは思ってなかったよ」 「なんか、プロテイン入りのホットチョコでも飲まされるかと思った」 「シャレになりそうでならないから言うなよ、泉」 見るからに義理と分かるチョコレートの詰め合わせだが、疲れた体は糖分を欲しがっていたようで、それぞれに帰り支度をしながら甘いお菓子を摘み出す。それを皮切りに、今日は何個収穫があったかという話題になった。上位に上ったのは、前々からクラス中の女子におねだりしていた田島と、軽い性格で女子からのウケが良い水谷と、以外にも「子犬みたいで可愛いから」という理由らしい(泉情報)三橋だった。 恐らく、中学時代までは、この手のイヴェントから疎外されていたであろう三橋の「こ、んなに、貰ったよ!」と幼い子供が母親に報告するような興奮した言い方に、他のクラスの部員は「子犬」という理由を妙に納得させられて、思わず生温い笑みを浮かべた。 そして、話題もひとしきり落ち着き、差し入れのチョコレートもなくなりかけてきた頃、冒頭の田島のセリフが出て来たのだ。 思えば、いつも部員の為に笑顔を絶やさずフォローをしてくれるマネージャーの浮いた噂を聞いたことがない。 朝早くから放課後遅くまで、彼らと一緒に部活に明け暮れている彼女は、贔屓目でなくとも可愛い部類に入るだろうし、性格も穏やかで、目立ちはしないが男子の密かな人気者になってもおかしくない要素を持っているとは思うのだが。 「確かに、篠岡からカレシの話を聞いたことがないな」 モモカンは兎も角、と本人が聞いたら、頭を鷲掴みされそうな暴言を吐きながら水谷が同意する。すっかり帰り支度が整ってはいるのだが、皆何となく帰るタイミングを逃してしまった。 「なんか知らねー?。西広」 「な、何でオレ?!」 「だって、春合宿の時とか練習試合の時とか、一番、しのーかと一緒にいる時間が長いじゃんか」 田島の一言で全員の視線が一斉に西広に集中する。注目された西広は「それって、何ヶ月前の話だよ!」と、天を仰いだ。確かに、ゴールデンウィークを明けた頃から西広も本格的な練習に入っていたので、マネージャーのフォローに入ることは少なくなっていた。そう言って全員を納得させ、ほっと息を吐いた西広がそれを言うなら、と反論を始める。 「同じクラスの方が知ってるんじゃないの?、特に、花井と阿部はキャプテンと、副キャプテンなんだから、マネージャーと行動する時間が更に長いだろ?」 そう指摘されて、今度は花井・阿部・水谷の7組トリオに視線が移る。3人は顔を見合わせ、それぞれに答えた。 「知らねぇ」これは、阿部。 「そう言えば、篠岡って、男女問わず誰とでも仲良いな」と、水谷。 「栄口、お前は?」お前もクラスは違えど副キャプだろと、花井。 指名された栄口も、暫く考え込んだ後「ごめん、心当たりないや」と困ったような笑みを浮かべて溜息を吐いた。 栄口の溜息に呼応するかのように9つの溜息がそれに重なる。 「考えてみりゃー」 気を取り直したように、泉が鼻の頭を掻きながら呟いた。 「毎日練習に明け暮れて、カノジョにまで手がまわりませーん、っつー俺達とずっと一緒にいるんだもんなー、マネジって」 カレシに手がまわるわけないだろ?。そう言われると確かに、このハードスケジュールの何処にそんな余裕があるのか?、と思ってしまう。 「・・・・・・。なんかそれってさ」 ふ、と疲れきったように巣山が視線を明後日の方向に向けた。 「アレ、だよね・・・」 巣山が言わんとしていることを察して沖までもが疲れたような笑いを見せる。 『モモカン、2号』 自分のバイト代を野球部につぎ込んでいた監督に対して有難いと思いながらも、ちょっと待て、若い女性としてそれで良いのか?と心配してしまった入学当時。マネージャーである彼女にも、同じ道を歩ませているのではないのか?、その上、篠岡はまだ青春の真っ只中だ。この時期を野球一色にしてしまって良いのだろうか?、とあまり周りが良く見えない三橋と、野球が好きで何が悪い?、と本気で思っている田島の両名を除く8人が、複雑な表情を浮かべた。 その頃、母親を心配する子供のようにチームメイトに心配されているとは知らず、当のマネージャー・篠岡千代は、帰りの電車の中で明日からの練習に思いを馳せていた。 日本中が恋愛を意識する日の、何気ない日常の一コマ。 |