「もう大丈夫ですよ」 義眼をはめてくれた寺院御用達の眼科医は、笑顔で太鼓判を押してくれた。 三仏神から新しい名前をもらい、新しい人生を送るように言い渡されたのは、もうどのくらい前になるだろうか。 自分のしてしまったことを考えると、もっと重い罰を与えられても文句は言えなかったはずなのに、この程度ですんだことは、あの金髪の最高僧のお陰である。この病院を紹介し、義眼に慣れるまでここで療養させてもらえたのも、彼の口添えがあったためだ。 お世話になった医院の面々に挨拶を済ませると、彼はここまで気遣ってくれた人物のところへも挨拶をするために、寺院へ続く道へ足を向ける。 いつ逢っても仏頂面の青年と、その隣で彼の分まで元気を吸い取ってしまったかのような明るい笑顔の少年のことを思って自然と笑顔になった。 それからもう一人。 あの、自分をこの世界に引き止めてくれた色の髪と目を持つ青年のことも思い出す。 ある日、ふらりとやって来た最高僧はおもむろに一言「アイツに猪悟能が死んだことを伝えてきた」と告げて帰って行った。突然の訪問と台詞に呆気に取られていたため反応が遅れてしまったが、後からその時の様子を想像して思わず肩をすくめてしまった。余計なことは一切口にしない彼のことだから、本当に「『猪悟能が』死んだこと」しか伝えていないだろう。 彼は今、どうしているだろう。もう、雨の日に拾った自分のことなど死んだ人間だと思い出すぐらいになっているだろうか。彼の長い人生のほんの一瞬通りすがっただけの・・・。 「そう言えば、ろくにお礼も言わずに来ちゃいました」 言葉にしたら、無性に逢いたくなってしまった。寺院へ進んでいたはずの足が自然と方向を変える。彼と過ごしていた場所へ。 忘れられてしまっていても良い。寺院へ行くのは、彼にお礼を言ってからでもバチは当たるまい。もしも、忘れられてしまっていた場合でも、その後で寺院へ行けば自分を知っている人がいるから救われるだろう。 そんな打算が働いてしまったことに少し自嘲的な笑みを浮かべて、また一歩彼の家へ向かっていった。 ひと月暮らした家へ着く前に大きな街に出た。 どうやら、よく彼が口にしていた「街」というのはここのことらしい。活気があふれた街だと見回したところで、ある一点で視線が止まってしまった。同時にどきんという自分の心臓の音も聞こえたような気がする。 ―――彼が、居た。――― かなり髪形が変わってしまっていたが、あの髪の色と醸し出す雰囲気は間違えようがない。「興味ねーもん」と言いながら正体不明の自分を何も訊かずに住まわせてくれた、やさしい人。 なんて声をかければ良いだろうか・・・。と逡巡していると、顔見知りらしい女性が二人、彼と話しているのが見える。 あしらい方が上手くて、女性に人気があるのが分かる。二言三言話してすぐに別れた後、八百屋の前で立ち止まった。 店先の中心には、この季節の旬の果物が山になって鎮座している。その色に惹かれるように自分も彼のあとに続く。 お礼を言うだけだ、すぐに終わる。 そう、自分を奮い立たせて彼の隣に滑り込んだ。 その髪の紅よりも、もっと鮮やかな赤い果物を手に取る間に、声をかける準備をした。 「綺麗な赤ですね、悟浄」 |