久しぶりに1人でやってきた悟空は、ドアを開けて八戒の姿を確認すると、開口一番こう叫んだ。
「今日、三蔵のたんじょーびなんだって!ケーキ作って!」
丁度、起き出してきてリビングのソファにだらしなく寄りかかっていた悟浄の紅い瞳と、この家の主に珈琲を出すべく立ち上がりかけた八戒の碧の瞳が突然の来訪者に向かった。若干、妙な間が開いた後、ライターを擦る音と共に再び会話が続けられる。
「ちょっと待て。人の家に入ってきて、挨拶もなくいきなりソレか?」
「だって三蔵のたんじょーびなんだよ?」
「理由になってねーだろーが!」
珍しく尤もなことを言う悟浄と、何が「だって」なのか今ひとつ掴めない悟空の間に、八戒が「まあまあ」と割って入る。
「いらっしゃい悟空。寒い中、遠い所を来て疲れたんじゃないですか?今お茶を淹れますからとりあえず座りましょう」
席を立ちながら、暖房の傍のソファを手で示して案内した。その一言で、ようやく悟空のテンションが正常に戻り勧められた席に素直に腰を落ち着けた。その手の平を返したような悟空の変わり身の早さについていけず、悟浄がソファの背もたれからズルズルと滑り落ちる。
その様子を見て、八戒はくすくすと笑いながらキッチンに向かった。昨日、買い物に出たときに何気なく買ってしまったお菓子の詰め合わせがあったはずだ。お茶の葉を蒸らしている間に目的のパッケージを見つけ、封を開けた。
「で?あのクソボーズが誕生日だからなんだって?」
とりあえず、八戒の淹れた珈琲を飲みつつ悟浄が話を切り出した。一方、温かいお茶を飲みながら、出されたお菓子を頬張っていた悟空はきょとんと悟浄を見返す。和んでしまったため、来訪の目的を忘れてしまったようだ。しかし次の瞬間、悟浄の向かいに座って、のんびりとお茶を啜っている八戒に金色の瞳を向けた。
「あ、そーだ。八戒、ケーキ作って」
「それは構いませんが・・・。それを頼むためにわざわざここまで来たんですか?」
だって、どーせ食うんならケーキは美味しい方が良いじゃん。と悟空らしい理論が返って来る。お前、八戒のことナンだと思ってんのよ?という悟浄のぼやきもどこ吹く風だ。そして、頼まれた八戒の方は、自分はこの真っ直ぐな金色の視線には勝てないだろうということを十分理解していた。柔らかい笑顔で承諾し、でも・・・と続ける。
「前もって教えてくれれば、僕達もそれなりにお祝いの準備ができたのに・・・」
「オレだって知ったの今日だもん・・・」
朝起きると、寺院の中がお祝いの準備で賑やかだった。一体なんのお祭りだろうと様子を窺っていると、誰かの口から「三蔵様の誕生日」というフレーズが聞こえてきた。それでようやくこのお祝いの雰囲気が何であるのかを知ったのだという。
「でもさあ・・・」
新しいクッキーを手に取りながら、悟空が言葉を続ける。
「調理場に行ったら、ケーキがねーの。ケーキがないと、たんじょーびじゃないだろ?だから、八戒のところに来たんだ」
彼の論理では、筋が通っている。悟浄が短くなったハイライトを灰皿に押し付けつつヤレヤレといった表情で呟いた。
「お前の言いたいことは、よおーく分かった。でも、寺の中で祝ってくれるなら、ケーキに拘らなくても良いんじゃねーの?」
「だって、たんじょーびって、その人にケーキをあげて一緒に食う日だろ?」
・・・・・・。
何かがちょっと間違っている気がする。
「ちょっと待ってください、悟空。あなた、誕生日がなんだか本当に知っていますか?」
念を押して訊ねられて、さすがの悟空も、自分の認識が違うことに薄々気付いてきたらしい。視線があらぬほうを泳ぎ回る。その様子を見て、悟浄と八戒が顔を見合わせる。悟浄が再びヤレヤレと天を仰ぎ、八戒は自分の視線を悟空の視線に合わせた。
「悟空、誕生日っていうのは、その人がこの世界に生まれて来た日のことです。もしも、悟空が三蔵に逢えなかったら、と考えてみてください」
「逢えねーのなんてヤダ」
悟空の返事は即答だった。その、真っ直ぐな視線を見つめながら、八戒が言葉を続けた。
その人が生まれてこなかったら、僕達はその人に逢うこともないので、一緒に過ごした楽しい思い出も作れないから、生まれて来てくれて嬉しい。とお祝いする日なんですよ?
「ケーキは作りますけどね、これは僕達からのプレゼントです。悟空も、三蔵に逢えて嬉しかったと何か贈り物で見せたくはないですか?」
八戒に訊ねられて、金色の瞳が下を向いてしまった。自分は寺院の人々のように大々的にお祝いすることも、八戒のようにケーキが作れるわけでもない。三蔵に逢えて嬉しい気持ちはすごくあるのに、それを形にできる手段が自分にはない。その選択のなさがものすごく悔しかった。
下を向いてしまった悟空の耳に、自分を呼ぶ八戒の柔らかい声が聞こえ、そろそろと視線を上げる。
「プレゼントは、そんなに贅沢なものでなくて良いんです。こうしたら、喜んでくれるかな?と思うものをあげれば良いんですよ?」
その言葉で、何かを思いついたらしい。
「ちょっと俺、出掛けてくる!」
訊ねてきた時と、同じように突然今度は外に向かって飛び出した。
朝からイライラすることばかりだ。
斜陽殿の執務室は消費された煙草の煙で充満している。三蔵はマルボロのパッケージを手に取った。
誕生日という日がなんだというのだろう。実際には、この日は光明三蔵が川から自分を拾った日であり、誕生日でないことも分かっている。誕生日とはその程度のことだ。
たったそれだけのことに、ここまで大騒ぎする寺院にもイライラが募り、ハリセンを振り回そうにも、その対象が居ないことにもイライラが増す。
「あのバカ。いつまでうろついてんだ・・・」
数時間前に「悟浄ンちに行ってくる!」と金色の瞳をキラキラさせながら、出掛けたきり戻ってきてはいないようだ。
この書類に目を通したら気晴らしも兼ねてサルを回収に出掛けようと決めた時、かちゃりとドアノブを回す音が聞こえた。ノックをせずにこの部屋に入ってくる人物は、斜陽殿の中では一人しか知らない。
「ただいま。三蔵」
果たして、金色の瞳がソロリと中の様子を窺う。充満していた煙が外に押し出され、代わりに、木々の爽やかな香りとお菓子のような甘い匂いが少年と共に執務室に入って来た。
「あのさー、三蔵」
「・・・・・」
「今日三蔵の誕生日だって聞いたから、八戒にケーキ作ってもらったんだ」
「仕事中だ、後にしろ」
余計なことを覚えやがってという気持ちが言葉に現れてしまったようだ。取り付く島もない三蔵の返事に「うん」と素直に従いつつ、右手に持った白い箱をテーブルに置いた。そこに、左手に持った籠も一緒に添える。
「この柿さ、俺が悟浄ンちに行く道に成ってるんだ。今まで食べたやつの中で一番美味いんだぜ。ナイショだったんだけど、三蔵が喜ぶかなと思って取ってきた」
自分にできることは、こんなことしかなかった。でも、大事なものをあげることは、嬉しいの気持ちを形にすることが出来ると思う。この気持ちが届くだろうか?不安に感じながらも言い置いて、退室しようと扉を開けた悟空の背中に三蔵の呼ぶ声がぶつかった。振り向くと、最後の書類に判を押している姿が映る。
「丁度ひと段落ついたところだ。柿が食いたい、剥いてこい」
「ケーキじゃなくて良いの?」
「今までで一番美味いんだろ?」
紫暗の瞳が、金色の瞳を真っ直ぐに見つめる。嬉しいの気持ちが上手く届いたかどうかは分からないが、抜群に美味い八戒のケーキより、自分が取ってきた柿の方を優先してくれた、そのことが嬉しかった。テーブルに置いたばかりの籠をもう一度抱え直し、弾けるような笑顔で答える。
「分かった!今頼んでくる!」
ドアを閉め、タタタという足音が遠ざかる。その足音を聞きながら、三蔵は先程までのイライラがなくなっていることにようやく気付いた。執務室の中には、甘い香りが漂っていた。 |