魔法の手
 八戒の手は不思議だ。と、思う。
 色々、美味しい料理を作ってくれる手、何処か痛い時に擦ってくれると、すごく気分が楽になる手。八戒の手は、まるで魔法のようだと思っている。
 悟空は、自分の手の平を広げてじっと見つめた。何処か違うのだろうか?同じようにしか見えないけれど・・・。
 兎に角。悟空は、八戒の不思議な手が好きだった。



 「八戒」
「はい?」
悟空の呼びかけには、八戒は必ず笑顔で応えてくれる、これから自分が話すことをきちんと聞こうとする態度が窺える。孤独を極端に嫌う悟空は、寺院での自分の扱いが「玄奘三蔵の連れ」だからこその上辺だけのものだと知っており、それが時折寂しく感じられた。だから尚更、この八戒の「『悟空と』向き合っている」と思える態度がくすぐったいような暖かいような気分になるのだ。
 八戒が出してくれた、お茶とお菓子を手に取りながら、先ほど感じていた事を口にする。
「八戒の手って魔法の手だよな」
「僕の手・・・。ですか?」
 悟浄は珍しく日が高いうちから「ちょっと町の奴らとヤボ用」言い置いて町に出掛けていた。急に出来た1人の時間、本でもゆっくり読もうと思っていたところへ、悟空が遊びに来たのである。
 お茶を淹れ終わり、自分も腰を落ち着けたところで、目の前の悟空から奇妙な事を言われて、きょとんとした表情になった。思わず、自分の手をしげしげと眺める。何の変哲もない、自分の手。「魔法の手」と言うよりはむしろ・・・。
「俺さあ、八戒の手、好きだな」
―――私、悟能の手好きだな―――
遠い昔のようにも、つい最近のようにも感じられる過去、彼女が言ってくれた言葉を思い出す。自分の手を「綺麗だ」と言ってくれた人は、もうこの世にはいない。あの時の「綺麗」な手ももう彼女と一緒に失ってしまった。
「八戒?」
己の手を見つめたまま動かなくなってしまった目の前の青年を悟空は不思議そうに見やる。その呼びかけにふ、と顔を上げ、自分の方に向けた八戒の表情は普段のものと違って見えた。
「あ・・・。すいません、悟空」
柔らかい穏やかな笑顔も、いつもの安心させるような笑顔ではない気がする。「綺麗」というより「哀しい」の方が強く感じられる笑顔。何に対しての「すいません」なんだろうか?会話の途中で、ぼんやりしてしまったこと?それとも・・・
「僕は、自分の手があまり好きじゃないんですよ」
褒められたことを素直に喜べないことに対しての「すいません」。悟空の金色の瞳が見開かれた。
「なんで?」
「・・・・・。悟空は、僕が大勢の人を殺してしまったのは知っているでしょう?」
「うん」
それがどうした?と言わんばかりに即答されてしまった。先ほどの哀しそうな笑顔に、やや困惑をにじませて八戒が言葉を続ける。
「だから、僕の手はもう、血で汚れてしまっているんです。綺麗な手と言ってくれるのは嬉しいけれど、僕はこの手が汚いと分かっているので、素直に喜べないんです」
すいません。と、もう一度言って、いつもより深い碧色の瞳で微笑んだ。
 言われた事がまだいまいち上手く伝わっていない表情の悟空の顔から視線を外し、テーブルの上のカップを見つめる。客人の前に置かれたものには、もうほとんど飲み物は残っていなかった。
「あぁ。お茶がもうなくなっていますね、お替わりを持ってきます」
微笑みながらそう言って、八戒が悟空のカップを手に取り席を立った。
 お菓子を持ったままの体勢で、悟空は考えた。八戒を初めて見た時、三蔵が言っていた「大量殺戮者」と彼の雰囲気が、かなり違うことに驚いた、もっと残忍な人物を想像していたので。自分に銃を向けた真っ直ぐな瞳が、それまで持っていたイメージを払拭してしまったのだ。ものすごく、澄んだ綺麗な色だと思った。こんなに綺麗な瞳を持っている人が、残忍な人物であるはずがないと直感的に感じた。
 三蔵と初めて逢ったときにも、直感的に『信じて良い人』だと感じ、その勘は間違っていなかったことで、悟空は自分の直感を信用している。
 悟空は席を立ち、八戒が居るキッチンに向かって行った。
「八戒!」
「うわ!」
突然呼ばれて反射的にティーポットを手にもったまま振り返ったところで、何かがぶつかってきた。視線を落とすと、明るい茶色の髪が視覚に入り、ぶつかった物が悟空だったことが分かった。思わず手を離さないで良かった。一度息を大きく吐いて、呼吸を整えるとポットをテーブルに置いた。
「危ないじゃないですか。いきなりどうしたんです?」
八戒の問いかけに、何も答えず腰に回した手に力を込めた。
「悟空?」
「・・・・・。俺ね、やっぱり八戒の手は綺麗だと思う」
悟空が顔を上げて、真っ直ぐに八戒の碧の瞳を見つめる。その瞬間、八戒の体がピクリと身じろいだが、悟空から視線を外せないまま次の言葉に耳を傾けた。その視線を感じながら、悟空は自分の思っていることを100%伝えようと、普段使わない頭を一生懸命動かした。
「だって、美味しいお菓子を作ってくれたり、お茶とか出してくれたりするのは、八戒の手じゃん。それに初めて逢ったとき、八戒の眼が綺麗だなあって思ったんだ。こんな綺麗な瞳の人が悪い事をするはずないだろ?。だから八戒の手がどんなに血で汚れていたって、綺麗な手なんだよ」
 俺が大好きな八戒の手だ。
 一瞬、綺麗な瞳が見開かれ、そのまま大好きな手が瞳を覆ってしまった。自分の言葉は上手く伝わったのだろうか?心配になり、見上げたままの体勢で青年の名前を呼んだ。
「八戒?」
呼ばれたはずの八戒は、瞳を覆ったまま悟空の呼びかけにも応えることもせず暫く動かなかった。やがて2.3回深呼吸をすると、手で覆われていない口元に笑みがこぼれる。
「・・・・・。有難うございます。僕も、悟空の金色の瞳が大好きですよ」
八戒が瞳を覆っていた手を外すと、いつもの柔らかい笑顔が現れた。先ほどと同じ言葉を言って、今度は「すいません」でなく「有難う」が貰えた。ということは、どうやら、自分の言葉は上手く八戒に伝わったのだろう。ただ、それだけのことがとても嬉しくて「えへへ」と笑うと悟空は、先ほどのように腰に回した手に力を込めた。
 その、年下の少年の温もりを感じながら、八戒は考える。果たして悟空は、自分の言葉がどれだけ周りの者を救っているか気付いているのだろうか?と・・・。ゆるぎない真っ直ぐな瞳を持つ悟空が口にする言葉は、嘘偽りのないもの。信じて良い言葉なのだろう。そんな彼が「大好き」と言ってくれているのなら、この罪で汚れた両手にも少し自信をつけさせても良いのかも知れない。小さな子供が母親を抱きしめるように、ぎゅっとしがみ付いた少年の旋毛を見下ろし、穏やかな気分で声をかけた。
「どうやら、お茶葉が開きすぎてしまったようです。折角悟空が褒めてくれたんですから、美味しいお茶を淹れなければね」
この温もりはとても居心地が良くて、暫くこうしていても良いかな?とは思ったが、タイミングを逃してしまうと離れる切っ掛けが掴めなくなってしまいそうだ。とりあえず、悟空が褒めてくれたこの手でもてなそうと、穏やかな笑顔で客人をリビングへと促した。
2003.2/14〜3/31の間「MISSION8」という企画が開催されていました。
 コンセプトは、「自分の中に眠った猪八戒を探し出し、八戒への愛を足がかりに新境地を開拓しよう」というもの。
 そのお祭り自体を知るのが遅かったため、その参加者ラインナップのすごさに恐れをなして腰がひけていたのですが、ぱせり晶さまから「あゆみさんマイブームの98はいかがですか?」と可愛らしく「えいv」と背中を押されまして、はっ!と気付けば参加表明をしていたという・・・(^^;)
 Iさまからものすごい、それはもお自分でも意識していなかった感想を頂けて、すんごく嬉しかったのを覚えています。エセ文字書きですが、こんな風に感想がいただけるなんて、幸せv。有難うございますv
お祭り自体は期間終了しましたが、作品の閲覧はできるそうです。
見逃した方はチェック!→