桜の樹の下
 その日の朝、悟浄は自転車の止まる音と、話し声で目を覚ました。誰か客でも来たのだろうか?と、リビングへ向かうと、丁度彼の同居人が「お世話様です」と扉の外に向かって声をかけながら閉めるところだった。その右手には、白い紙。どうやら手紙らしい。
 手に持った封筒に視線を落としていた八戒が家主の気配を感じ、そちらへ碧の瞳を向ける。ふわりと笑顔を見せ、朝の挨拶をした。
「おはようございます。悟浄」
「はよ・・・。何?誰かから手紙?」
長い髪をガシガシとかき混ぜながら、八戒の手の中を覗き込む。達筆で書かれた宛名を見て、思わず眉根が寄った。
「・・・・・。生臭ボーズ?」
「流石ですね。筆跡だけで三蔵と分かる辺りが・・・」
そんな軽口をたたきながら、封を開けた。ほんの数秒で読み終わる短い手紙に目を通した後、手紙を悟浄に渡した。
「悟浄、どうやら、約束を覚えていてくれたようですよ。明日の予定は決まりました。明日は早起きをしてくださいね」
 渡された文章を一読して、眉間の皺がますます深くなる。
「気にいらねーな・・・」
「え?ダメですか?明日」
「内容云々じゃなくて、この用件で宛名がお前だけっつーのがムカツク」
 本気で腹を立てている悟浄の様子を見て、彼には失礼だと思ったが、ついうっかり吹き出してしまった。ギロリと紅い視線を向けられて、どうにか笑いをかみ殺す。取って付けたような「すいません」の後、とりあえずご飯にしませんか?、と何とか打開案を提示した。



 いきなり三蔵から「花見に行くぞ」と言われたのは、朝食のときだった。
 朝食といっても寺院で出されるものである。穀類が大部分を占めているものでは、育ち盛りの悟空にはちょっと物足りない。それでも詰め込めるだけ詰め込もうと一生懸命胃袋を満たしている金眼の少年は、その向かいで食事をしている青年の提案に口の中の物を嚥下してから訊き返した。
「花見?」
「あぁ、どうやら、ここ2.3日で見頃が終わってしまうらしい。昨日のうちに悟浄と八戒にも声を掛けているから、今日食事が終わったらすぐに出かける」
慣れ親しんだ2人の友人の名前を聞いて、表情がぱあっ!と輝きだす。
「八戒達も来るの?行く行くー!」
その会話を耳ざとく聞いた坊主が慌てて、最高僧に進言する。
「お待ちください、三蔵さま。本日もご公務がありますし、3日後には花祭りが控えておりますし。別な日にされては・・・」
「うるせえ。俺が今日行くと言ったんだ」
恐る恐るといった表情で、口を出した坊主を「なんか文句があるのか」とでも言いたそうにひと睨みして、黙らせる。そんな会話は悟空の耳に入っているのか、目の前の粥を手に取りながら「八戒、どんなべんとー持って来てくれるかな?」と言っている辺りは、流石というべきか。
 ワクワクしながら、目の前の食べ物を片っ端から片付けていく悟空を目の端に映しながら、こっちが胃もたれしそうだと、他称少年の保護者である最高僧は少々ゲンナリしてしまった。



 斜陽殿の裏手に少々小高い山がある。その頂上に見事な桜の木があるのだが、街の人々はご神木だからと言って、滅多に近づこうとはしない。しかし、今日はその根元から賑やかな声が聞こえていた。
「一体、この桜がご神木だと誰が決めたんだ?」
 杯を傾けつつ、そう悪態を吐いている男は、どう見たって坊主の格好をしている。その隣で穏やかな顔をした青年がまあまあと言いながら、自分のペットに食べ物を与え、空になった男の杯に酒を注ぎいれた。
「生えていた場所が悪かった、としか言いようがないでしょうね」
はらリ、はらりと降り注ぐ薄桃色の花びら。それを見上げる青年の口元には、穏やかな笑みがこぼれる。
「それにしても、本当に見事な桜ですね。桜の方だってこんなに見事に咲いたのなら、誰かに見て貰いたいんじゃないでしょうか?僕達、良いことしていますよ。三蔵」
 そう言われて、三蔵と呼ばれた男の方も「あぁ」とか「うぅ」とか「ふん」とか言いながら、桜を見上げる。目の前のご馳走、心地よい風、それにつられて舞い落ちる桜の花びら。2人でとめどなく降り注ぐ花びらを眺め、思わず八戒の口からこんな言葉が出てきた。
「風流ですねぇ・・・」
「あぁ、このバカどもさえ居なければな」
三蔵のため息をかき消すように、彼の向かい側から喧しい声がかぶさってきた。
「オイ、馬鹿ザル!どさくさ紛れて俺の空揚げ取ろうとすんなよ!」
「そー言う悟浄こそ、さっき俺のシュウマイ食ったじゃん!お返しだよ!」
「誰がお前のだって言った?俺は、寂しく皿に残っていたから、食ってやっただけなんだよ」
「最後の楽しみで取っておいただけだってば!」
 目の前の2人は、どう見ても同年齢には見えない。最低でも紅い髪の男の方が5歳は年上だろう。それなのに、この低レヴェルな争いで本気になっている。前の2人の喧騒を聞くたびに、三蔵の眉間の皺が深く深く刻まれていく。八戒が「あ、やばい」と思った時にはすでに彼の左手にはS&Wが握られていた。
「うるッせぇんだよ!いっそ桜の根元に仲良く埋めてやろうか!」
「三蔵、桜には当てないで下さいね。その2人と違って桜の樹は傷つけられたらそこから弱ってしまう繊細なものですから」
本気で引き金を引きそうな三蔵と、そんな様子を見て本気かも知れない辛辣な一言を吐く八戒の様子に、今まで騒いでいた悟浄と悟空はいっぺんに口を噤んだ。
「風流ですねぇ」
 杯を傾けながら、のんびりと空を見上げる八戒に、彼の足元で空揚げを頬張っていたジープが応えるように「キュー」と鳴いた。



 八戒が用意してくれた重箱の中のものはすべて4人と1匹の腹の中におさまり、酒も底をついて来た辺りで「さて」と八戒が腰を上げる。
「悟空」
 斜陽殿に訪ねて来た時、抱えていた大きな荷物の中から白い箱を取り出し戻って来た。右手に持たれたそれを掲げながら悪戯っ子のように微笑んで少年に問い掛けた。
「鼻のきく悟空なら、この中に何が入っているか分かりますよね?」
「うん!俺、八戒のケーキ大好き!」
 あっという間に中身を当てられてしまった八戒が苦笑しながら、白い箱を悟空の目の前に置いた。
「開けてください」
中身が分かっていても、この瞬間はどきどきする。八戒に促され大事なものに触れるようにそぉっとそぉっと蓋を持ち上げた。
 悟空が大好きな手作りのケーキが現れる。しかし、いつもとは違うデコレーションのついたケーキだった。
「え?」
ケーキの上に乗った小さなプレート。チョコレートで「誕生日おめでとう」と書かれた文字。
「お前の誕生日だ」
と、言っても俺がお前を見つけた日だけどな。
隣でマルボロを燻らせて、三蔵が呟く。朝食の時、「今日」と言ったのは、このためだったのか。
マルボロの煙の向こうから、八戒の笑顔が向けられた。
「誕生日ってケーキをその人にあげてみんなで食べる日なんでしょう?」
そう言って紙の皿を取り出し、紙コップに紅茶を注いでいく。
 零れ落ちそうに大きく見開いた金色の視線は、まだ綺麗に飾られたケーキの上から外れない。徐々に顔を上げ、隣に座る三蔵の顔を見つめ、他の2人に視線を移す。それから、ぱあっと弾けるような笑顔を見せた。
「うん、みんなで食おう!その方が美味いもんな!」
 はらり、はらり。
 桜の花びらは白いケーキの上にも降り注ぎ、綺麗にデコレーションしていった。



 4ヶ月前、ケーキを貰った礼として三蔵が悟浄達の家を訪れたときから、それは始まっていたのだ。
 そのことを切り出したのは、八戒だった。
「三蔵。あなたの誕生日は分かりましたけど、それをお祝いしようとした悟空のは、教えてもらっていないんですが…」
多分、4人の中で一番そういう記念日を喜ぶのは悟空だろう。そう思って訊いたのだが。
「俺も知らん」
「え?」
マルボロの先にできた灰を落としながら、短い答えが返ってくる。思わず、悟浄と八戒は顔を見合わせた。
「あいつは、五行山から俺が連れ出すまでの記憶が残っていないんだ。だから、あいつに訊いたところで分かるわけもなし」
そう言いながら、宙を睨みつける紫暗の瞳に寂しげな色が混ざる。誕生日自体にあまり良い感情を持っていなかった三蔵にとって、今まではそんなもの知らなくても良かったのだ。しかし、この目の前の2人と知り合って「どうでも良かった」事が「ちょっとは大事かもしれない」と思えるようになった今では、そうもいかなくなった。悟空にとって大事に思える人が三蔵だけでなくなった時から、彼の世界は広がったのだから。色々なものを体験させたい、そこから生まれる「喜び」を味わわせてやりたい、そう思っても良いだろう。
 そして、散々考えて、連れ帰ったこの日を誕生日に仕立てた。



 「しっかしなあ」
帰り道、ジープに揺られながら悟浄が一人ごちる。
助手席に座る悟浄の呟きを聞き入れ、八戒がハンドルを握りながら訊ね返した。
「なんですか?」
「あいつの誕生日は、花見して食っただけで終わってよかったのかね?」
 ジープの上、紅い髪がたなびく。八戒は、くすりと微笑みながら呟いた。
「僕は、あれで大成功だと思いますよ?」
「なに?ケーキ食ったから?」
「まあ、それもあリますけれどね」
車が右に曲がる。それにつられてハイライトの煙もゆるくカーブを描いた。
「大事なのは、その人が喜んでくれるかどうかです。悟空の場合、今まで誕生日を祝ってもらうことはおろか、誕生日の存在すら知らなかったんでしょうから。そんな悟空にとって、特別な日を誰かが一緒に祝ってくれたこと自体が一番のプレゼントではないですか?」
 贈り物って形に残らなくても良いじゃないですか。
 そう言って、向けられた八戒の微笑みにそれもアリかもな。と思い直し、携帯灰皿に短くなった煙草を突っ込んだ。
はらり、はらり。
 どこからか風に吹かれて飛んできた薄紅色の欠片が、夕焼けに照らされて色を増した。
 来年の今日も、きっとこんな情景が映るのだろう。
 晴れた春の日特有のすがすがしい空気がジープの上をすり抜けて行った。 
 ごくーちゃんの誕生日SSです。
 珍しく、三蔵さまが喋ってます、考えてます、動いてます。やればできるじゃん!俺!(よその三蔵さまの様にカッコ良くはならないですが・・・(号泣)。
 ごくーちゃんの描写ってやっぱり楽しいです。毎度のごとく「ごくーちゃん=素直」を心がけてみました。
(2003.4.5UP)