共有する気持ち
 桃・栗3年、柿8年
 ふと、そんなフレーズが三蔵の頭をよぎった。ちょっと息抜きに・・・と、煙草に火を点け、窓から庭先に視線を移した三蔵の目の前に、まだ背の低い木と、その根元にしゃがんでいる少年の姿が映ったからだ。
 「まだ成らないのかな〜、もう秋なのに・・・」
 お預けを食らっている子犬を連想させる少年の仕草に、少々頭痛を覚えながら窓際まで寄って「おい」と声をかける。その呼びかけに少年の金色の瞳が、木の枝から声をかけた三蔵に向き、ぱあっと笑顔が浮かんだ。
「三蔵!、お仕事はもういいの?」
 笑顔で駆け寄って来る少年に心の中で「俺はエサかオモチャか?」と毒づきながら律儀にまだ途中であることを告げる。
「で?お前は何をやっているんだ?悟空」
悟空と呼ばれた少年は、先ほど自分が蹲っていた木を指差しながら訴えた。
「だって!。もう、あの木の種を植えてから一年も経つのに、まだ実が成らないんだぜ?柿って秋になるもんなんだろ?」
 確かに、柿の実は秋に成るものだが1年ばかりでは実が成らない。更に、雄花と雌花があって・・・などという話をこの脳みそまで胃袋である子供に分かるかどうか、甚だ疑問でもある。
「その木はまだ実をつけるには、早すぎるんだよ」
「じゃあ、どのくらい待てば成るの?」
「・・・・・。そればかりは俺にも分からん」
 期待で輝く金色の瞳に何故か罪悪感を覚えながら、当りさわりのない返答をひねり出すと、悟空はそれでも納得したように「ちぇーっ」と唇を尖らせた。
「あの柿美味かったのになぁ・・・」
少年のその言葉で三蔵はちょうど1年前の出来事を思い出した。
 それまで、三蔵にとって誕生日など何の意味も持たないものだった。 自分の存在というものは肩書き1つでこんなにも変わるものだということは、金山寺にいた時や、この寺に赴任してきたときに、よく分かっていたつもりだった。それを顕著に感じさせられるものの1つに、この『誕生日』というイヴェントがある。
 ――川流れの江流――
 光明三蔵に付けて貰った名前には何の不満もなかったが、自分の生い立ちから陰でからかって呼ばれることには少々辟易した。だから、自分の生まれた・・・というより、拾われた日には、なの感慨も浮かばない。
 それがどうだ。『三蔵』という名を貰い、この慶雲院の当主となってからはその日が来るたびに大々的に祝われる。自分自身は変わっていないのに、名前が変わるだけでこんなにも扱いが変わってしまうことに、呆れるのを通り越してすっかりどうでも良くなった。
 1年前。
 いつものお祭り騒ぎのような寺院の中でイライラしながら、茶番に付き合ってやろうと諦めていたところに悟空が柿を持って現れた。「今まで食べたやつの中で一番美味いんだぜ」と差し出した木の実。彼なりの気持ちの現れだったのだと、後から八戒に聞いた。『玄奘三蔵』という肩書きでなく、三蔵自身に向けられた祝いの気持ちは、もしかしたらこの時が初めてと言っても良いのではないかと、振り返って思うことがある。
 その時に残った種を植えたものが先ほど悟空が眺めていた柿の木なのだが・・・。
「・・・ってば!、聞いてる?三蔵」
 どうやら、1年前に思いを馳せている間にも、時間は進んでいたらしい。悟空が窓枠を乗り越えんばかりに飛び上がって、両腕を支点に伸び上がる。いきなり目の前に現れた悟空の金色の瞳に多少たじろぎながら、何だと答えた。
「聞いてなかったのかよ!、八戒がさ、ケーキ作ってくれるって!喰いに行こうぜ!」
・・・・・。果たして、この猿の『誕生日』の定義はケーキを食べること以外にあるのだろうか?と、先程までの想いを覆しそうになる。イライラと新しい煙草をパッケージから取り出す三蔵に気付かぬように悟空は言葉を続けた。
「だからさ、29日は寺院の奴らにあげるから、次の日1日は俺たちに頂戴?」
 なぞなぞのような後空の言葉に、煙草に火を点けようとしていたのも忘れてしまう。それでも、言葉の意味は分かった。とりあえず30日は悟空たちに付き合ってやろうと、また書類に目を通すべく重々しい机の前に腰を落ち着けた。





 そして、当日。
 昨日の寺院内の仰々しい会に付き合ってやりながら、呑めるものは呑んでおこうと杯を傾けていたのが間違いだったかも知れない。
「三蔵、大丈夫ですか?」
後ろを歩く細身の青年が気遣うように三蔵に声を掛ける。
「いつも偉そうに椅子に踏ん反りかえってっから体が鈍っちまっているんじゃねぇの?」
自分の前を歩く紅い髪の青年の憎まれ口にはかなりむかついたが、拳銃を取り出すのも億劫なくらいに疲れはピークに差し掛かっていた。
「三蔵、もうちょっとだから頑張れよ!」
更に前を歩く悟空の元気の良ささえ憎たらしくなる。だから、一言文句を言った。
「てめぇ・・・。八戒のケーキを喰いに行こうとしか俺は聞いてねぇぞ・・・」
なんだって、山登りをせにゃならんのだ。
 1年ちょっと前、ひょんな事から知り合いになった青年2人は、寺の前までジープに乗って悟空と三蔵を迎えに来た。その時、後部座席にお弁当のような包みや、ケーキらしい箱があるのを不思議に感じなくてはいけなかったのかも知れない。てっきり二人の住む家に向かうものと思われた車がどんどん違うところに向かいだした時には、もう後の祭だった。
 そして今、ジープでは登れないような山道を4人で登っている。
 よくよく見れば、八戒の持っている荷物は弁当などの食事が中心だったが、前を歩く悟浄の手にしているものは、どう見ても毛布とカンテラだ。このまま、俺はキャンプでもすることになるのだろうか?と、三蔵の頭の中を不安がよぎった。
 永遠にこの山道が続くのかと思われたその時、上の方から悟空の元気な声が響いた。
「とーちゃーく!」
「どうやら先頭は目的地に辿り着いたようですね、もうちょっとらしいですよ」
他人事のようにのほほんと声を掛けてくる八戒の言葉に違和感を覚える。
「って、このハイキングは、手前らが仕組んだことじゃねえのか?」
彼の息が1つも上がっていないことさえ腹立たしくなる。一方、その矛先を向けられた八戒はその事にまったく気付かないように笑顔で答えた。
「はい、今回の企画は、全て悟空のセッティングですよ。僕たちは、彼に協力しただけです」
「あのカンテラもか?」
「そうですね、もしかして、ここで僕達キャンプですかね」
テントは頼まれてなかったんですが、と的外れな感想を述べる八戒に思いっきり脱力してしまった。もうなんとでもなれと、茂みを掻き分けたところで、

視界が開けた。

一面の空と眼下に広がる木々。もう11月も終わりに近づいていることもあり、所々紅葉が落ちて木々の肌が晒されているところもあるが、それでも全てを一望できるこの場所は素晴らしかった。
「ここが目的地。いっぱい歩いて腹へっただろ?飯にしよーぜ」
悟空らしい提案にクスクスと笑いながら、八戒は持参してきたマットを広げた。





 確かに、戸外で食べる食事は八戒の手料理ということを差し引いても美味いのは知っている。誰にも邪魔されず、のんびりと出来るこのひとときは三蔵も口には出さないがかなり気に入っている。メインディッシュを腹に収め、悟空が一番楽しみにしていたケーキも跡形もなくなくなり自然を満喫もしたが、本日のホストである悟空からは、まだ下山の号令がかからない。何度催促しても、
「もうちょっと待ってよ、まだ見せたいものがあるんだ」
というだけで中々承諾せずにいる。しかし、だんだん日が西に傾いてくる。もうそろそろ下山をしないと危なくはないだろうか?と、三蔵が痺れを切らして声を掛けようとしたところで
「来た!」
悟空が呟いた。
悟空の視線の先に一番に気付いたのは、八戒だった。
「ああ、綺麗ですね。悟空が見せたかったものってこれですか?」
ふと、二人の声がする方に視線を移す。そこには
赤とも紫ともつかない、太陽が沈む瞬間の輝きがあった。
拓けた場所だからこそ見られる、大きな夕日に思わず一同言葉を失い、暫く眺めいる。その間にも、徐々に夕日は沈んでいき、とうとう最後の光を残して見えなくなってしまった。
「ここの夕日が一番綺麗だから、三蔵にも見せたかったんだ」
 振り向いて三蔵に笑顔を向ける悟空の後ろで陽の光が輝いた。思わず目を細めたのは逆光の所為にしておこう。
「すごいだろ?、寺からちょっとしか離れていないのに、こんな場所があるなんて、知らなかっただろ?」
確かに、恐らく寺院にばかりいただけでは、こんな風景を見ることは一生なかったと思う。寺院の中で学んでいる者はいろいろな書物を読み、何でも知っている気分にさえなるが、三蔵たちが知らないだけで、この世の中は広い。それに、そんなことが気付けるのは寺院のものでなく、悟空だからこそなのだろうと三蔵はぼんやりと確信していた。
 驚かされるたびに、濁った体の中を清々しい思いで清浄されていく。結構この世は捨てたものではないかも知れない。
「さ!、日がなくなる前に下りようぜ」
ようやく長い一日が終わった。





「ところで」
日が落ちてしまった山道を、カンテラの灯りを頼りに来た時と同じ順番で一歩一歩降りていく。その道中、三蔵は疑問に思っていたことを何となく八戒へぶつけてみた。
「何故、今年アイツは誕生日当日でなく、次の日に企画を立てたんだろうな」
心なしか三蔵の後ろを歩く八戒からくすっと笑い声が聞こえた。
「恐らく――、悟空なりに気を遣ったんでしょうね」
あなたが、寺院の方々の中で大切な存在であることを知っていたから、その大切な存在の大事な日を自分の都合で奪ってはいけないと思ったんでしょう。
「多分、寺院の中でも三蔵のことを一番大事に感じているのは悟空本人だってこと、彼は気付いていませんよ?」
愛されていますね、保護者さん。と、少々からかう響きに居心地が悪くなりながら、もう1つの疑問を訊いてみた。
「だったら、何で30日だったんだ?28日でも良かったんじゃねえのか?」
三蔵の呟きに八戒が律儀に答える。
「それは・・・」
やっぱり楽しみは後に残しておく方が良いでしょう?
三蔵のくっという笑いが木々の間から聞こえた。
「違いねえ」
 お疲れさまでしたー!
 いきなり「ぽんっ」と出来た三蔵様のお誕生日のお話。
 きっとごくーちゃんだったら、某CMのように「モノより思い出」かな?と思って書いてみました。
 去年に比べたら、三蔵様が動いてくれて助かりました(爆)
(2003.11.29UP)