遠い約束
  その少年は、永い永い時を生きていたという。
  例え、そのほとんどの時間が空虚な時間だったとしても。




 そのことを八戒に教えたのは彼の保護者である男。ストイックな美貌と言えば聞こえは良いかもしれないが、眉間にしわが寄っているいつもの面白くない表情のまま、まるで日報を伝えるようにあっさりと口にした。
 だから、聞かされた八戒の方もあっさりと聞き流してしまった。『あぁ、そうですか』とやり過ごし、後からその膨大な年月を改めて考えると、思わずぞくっとする。
「500年って、そんなサラッと口にしていってしまえるほどの年月じゃないと思うんですけどね」
「え?、何の話?」
 その夜、マグカップを二つ手にして、キッチンから現れた八戒が唐突に同居人に声をかけた。
 唐突に話が始まるのは、いつものことであるし、そのことに関してはお互いさまでもある。
 ただ。八戒も同居人である悟浄もそれで良いと思っている。あまり相手をよく知らないまま同居生活を始めてしまったのだから、相手のことが分からないのは当然だし、だったら些細なことでも会話をしながら、コミュニケーションをとっていけば良いだけの話。
 後に、八戒がずぼらな悟浄の生活態度にイライラしたり、反対に悟浄が八戒に対して心の底でオカン体質と毒づくようになったりするのだが、それはこの時はあまり関係のない話なので、ここでは伏せておくこととするが。
「この先にある、五行山の伝説を知っていますか?」
 ことり、と左手に持ったマグカップを長い煙草に火を点けている悟浄の前に置きながら話を続けた。悟浄は、煙草をくゆらせた後、マグカップを手に取り、注がれた珈琲をすすりながら、記憶を辿るように視線を空中で止めた。
「あぁ、天界で罪を犯した妖怪が、五行山に閉じ込められているっていう話?」
ずずっと珈琲をすする悟浄の向かいに腰を下ろし、八戒もまた自分のマグカップから琥珀色の液体を一口、含んだ。そして、教わった最高僧にも負けないほどにさらりとそれを伝えた。
「あれ、悟空のことらしいですよ?」
「マジで?」
 一瞬悟浄がきょとんとしてしまったのも無理はない。『五行山の妖怪』と言われて、まず頭に浮かぶのは、大柄な凶暴な妖怪だろうから。今のあのちんくしゃな子供とはなかなか結び付かない。2人の間に沈黙が降り、そしてぼそりと呟いた。
「なんて言うか」
「現実味のない話ですよねぇ」
ずずずっと向かい合わせで珈琲をすする。





「百歩譲って。その話が本当だとしたら」
八戒の呟きに、悟浄が紅い視線を手元のハイライトのパッケージから向いの男に移した。
「500年って気の遠くなる話だと思いませんか?」
人間とは違って、妖怪は寿命が長いと聞く。
「悟空はその500年もの間、五行山という石牢の中で、たった1人でいたんですよね」
 その言葉につられて、悟浄も金色の瞳をキラキラと輝かせる少年の姿を思い浮かべる。あの、全身で生命を現しているような少年と、500年もの死んだような時間はどうしても結びつかない。
 その幽閉されていた場所に何かしらのまじないがかかっていて成長が止まっていたのだとしても、その空虚な時間を一人で過ごしていたという事実は変わらないのだ。
「多分。僕には、耐えられません」
八戒の碧色の瞳が、悟浄の視線を真っ直ぐに見返した。
「そんなわけで悟浄。僕も晴れて妖怪になったことですし」
「……。ハイ?」
「これから先の500年を、悟空と一緒に過ごせたらなあ、なんて柄にもないことを考えてしまいました」
にこりと微笑む八戒の言わんとしていることが何となく理解できて、悟浄の眉間にじわじわと皺が寄る。
 言うなれば一蓮托生だ。
「俺にも付き合えって言いたかったワケ?」
「言いたかったじゃなくて、言っているの方が正しいですね」
珈琲を飲みながら、八戒がさらりと返す。
「あなただって妖怪でしょう?、長生きしますよ、きっと」
「半妖怪だっつーの!」
煙草のフィルターを噛みしめる悟浄に八戒はどこ吹く風と言わんばかりの表情で冗談はともかく、と続けた。
「僕は、500年前の天界で何があったか知りません。でも、今の悟空は好きですから。それが全てです」
「じゃあ、悟空はこれからまた500年生き伸びなくちゃいけないってことか」
「1人じゃなければ、500年なんてあっという間ですよ」
完璧な笑みというのは、こういうものなのだろうか。
 煙草をふかしながら八戒の宣言を思い返して、悟浄は可笑しくなった。



 思えば。
 初めて出逢った頃の八戒は、世の中すべてを諦めていつ死んでも良いという態度だった。
 それが、この変わり様と言ったら。
 普段は、喧嘩相手のようなポジションの相手である金眼の少年は、出逢う人を前向きにさせる。そんな雰囲気を持っている。
 それが、500年前に自分の知らない所で起きたことと関係があるのかは知らないが。
 この際どうでも良いか、と思う。



 短くなった煙草を灰皿に押し付けて、悟浄は不敵な笑みを八戒に向けた。
「お供シマショ。500年」





 そんな冗談とも本気ともつかない会話を交わしてから、数年。



 彼らは今、死と隣り合わせの旅を続けている。
 これから500年生きるのだから、こんな刺激的な一瞬も悪くないよな。
 平和な旅路の途中で、運転席に座る男の後頭部を眺めながら、悟浄は煙草の煙を大きく吐いた。

 1000hitリクエスト。
 ねこ三四郎さまから『外伝をからめた58で』とのリクエストでした。
 なんかこー…。出来上がったものはちょっと外した気もするのですが…。そもそも、58じゃなくなっているし。(項垂れ)。
 こんなで申し訳ありませんが、喜んでいただけたら有難いです。
 ねこ三四郎さま、リクエスト有難うございました。

(2010.8.31UP)