扉を開けると、見慣れた二人連れが立っていた。相変わらずの仏頂面とその隣に並ぶ笑顔。
八戒は内心、連絡がなく突然訊ねてくるのは珍しいと思いながも、それを決して面には出さずに「いらっしゃい」と、笑顔で来客を扉の中へ招き入れた。
「急な用事が入って、2日ほど慶雲院を留守にする」
「はぁ?」
三蔵が出された珈琲をひと啜りして、前置きをつけずに本題に入った。それが彼の癖だとは分かっているが、それを言いにわざわざこんな町から離れたところまで来るとは思えない。またしても、悟浄と八戒は話の流れから見事に置いて行かれてしまった。
火を点けようと煙草を咥えたままきょとんとしている悟浄と、その隣でいつもの笑顔より幾分眉尻が下がった表情の八戒に助け舟を出すように、悟空が三蔵の後を引き継ぐ。
「だから俺、今日悟浄ンちに泊まるからv」
「そう言うわけだ」
「ちょっと待てよ、オイ」
もちろん納得がいかないのは、この家の主。とにかく一服吸って気を落ち着けようと、左手のライターを繰る。ふわりと、紫煙が舞ったところで話を続けた。
「俺は、何も聞いてねーぞ」
「だから、今言ったじゃねぇか」
「何でサルを預からなきゃならねーんだ?!」
「俺が斜陽殿に居ないからだ、話を聞いていなかったのか?」
「だからそーじゃなくて!お前が慶雲院に居ないと、何で悟空が家に来るようになるかを訊いてるんだ!」
留守番くらいできるだろー!と紅い目を話題の中心になっている少年へ向ける。いつもなら、ここで悟空が突っかかって来て、「売り言葉に買い言葉」で言い争いが始まるのだが、今日はちょっと違った。
矛先を向けられた悟空は一瞬言葉に詰まったが、いつも強い光を宿している瞳を俯かせて、ただ一言呟いた。
「・・・・・・・・・。ヤなんだよ」
悟浄が何のことだと追求しようと口を開きかけた時、それまで事の成り行きを見守っていた八戒が初めて発言をした。
「じゃあ悟空、今日は僕と寝ましょうね」
「うん!」
家主をぬかして、話が纏まりかけている。先手を取られた悟浄が今度は八戒に向かって抗議する。
「待てコラ!俺は一言も良いなんて言ってねーぞ!」
「悟浄には、迷惑はかけません。泊まる場所も、僕のベッドを提供します」
何かご不満でも?と、笑顔を向けられて、何も言えなくなってしまった。話が纏まったところで、三蔵が席を立つ。
金髪の青年の姿が扉で遮られるのを見送りながら、悟浄は何か釈然としないものを感じていた。
そして今、就寝の時間である。
悟浄は普段のペースを崩すことなく、賭博場に出掛けている。八戒手作りの夕食に大満足した悟空は、リビングから枕代わりのクッションを抱えて八戒の部屋に入って来た。
悟浄の部屋には時々勝手に入って部屋の主に怒鳴られるのだが、どうやら勝手が違うらしい、初めて入った部屋の中を珍しそうにキョロキョロと見回している。
「すいませんねぇ。何もない部屋で」
八戒の言葉にううんと首を振り、悟空はベッドの中に潜り込んだ。
「八戒は?まだ寝ないの?」
「僕は・・・。もうちょっと悟浄が帰ってくるのを待っていることにします」
そう言いながらも、八戒も悟空の隣に入って来る。
「う〜ん、やっぱり二人じゃ狭いですねぇ」
「そんなことないよ、こーゆーふーに誰かと一緒に寝るのって面白そうだし、慶雲院に居なくちゃいけないのを考えたら、八戒と一緒に居る方がダンゼン良い」
蒲団から顔を出して、笑顔で見上げる金色の瞳に昼間のやりとりが思い出された。
「そう言えば、悟空。あなた、慶雲院が嫌いなんですか?」
八戒の問いに、見上げていた瞳を俯かせ呟くように答える。
「嫌いじゃねーけど、三蔵が居ない時は好きじゃない」
元々、三蔵が連れて来た者であるから、表面上は当り障りなく接しているだけなのだろう。昔から居る古い僧などの中には悟空のことを『異端の者』として、疎ましく感じているものだって少なくはない。表面上とりつくっているつもりでも敏感な悟空のこと、自分がどんな風に見られているかは、何となくでも感じ取っている。
「あそこで俺が居られる場所は、三蔵の隣だけなんだ・・・」
それでなくても俺、三蔵にはよく怒られているし、三蔵だって俺のことで他のボーズに嫌なこと言われているみたいだし、三蔵にはいっぱいいろんなもの貰ったのに、何にも出来ない・・・。
呟きがどんどん小さくなっていく、それと比例するかのように悟空の頭も蒲団の中に潜っていってしまって、とうとう金錮まで蒲団の中に隠れてしまった。
こんな小さな身体で、寺院というしがらみに抵抗できないまま今まで暮らして来たのかと、僅かに眉を曇らせて少しばかり見える明るい茶色の髪を碧の瞳に映した。
「あなたは、三蔵と逢えたことをどう思っていますか?」
柔らかい問いかけに、悟空のくぐもった声が答える。
「どうって・・・。五行山から出してくれて、すっげー嬉しかった。でも、俺は三蔵に全然お礼が出来ないんだ・・・」
とうとう、八戒に背中を向けてしまった。小さな旋毛を見下ろして、一息つくと一言一言言い聞かせるように言葉をつむいだ。
「でも、悟空。僕は、あなたに逢えて良かったと思っていますよ」
旋毛が小さく動いた。それを微笑んで見つめながら、続ける。
「あなたが居なかったら、きっと僕はもう、この世にいなかったと思います」
―――俺・・・さっき、キレーな目だと思ったんだぞ!?―――
本気で逢ったばかりの自分を叱ってくれた。あの時の、彼の言葉に偽りはないだろう。悟空のそんな率直さは、彼の知らないところで沢山の人を救っていると思う。自分もその1人であり、おそらく三蔵もその中に入っている。
モゾモゾと茶色の髪が動き、金色の瞳が蒲団の中から現れた。視線が、自分を見つめる八戒の穏やかな笑顔で留まる。
「俺・・・。八戒を助けたの?」
「はい。でも、僕もあなたに『すっげー嬉しかった』お礼が出来ていないんですよ」
困りましたねぇ、と冗談めかして言うと、フルフルと首を振り「八戒のメシは美味いよ」と、至極悟空らしい答えが返ってきた。
「ね?『お礼』なんてそんなものですよ。明日になったら、三蔵も迎えに来ます。元気な顔でお出迎えしなくてはね」
だから、ゆっくりおやすみなさい。
ようやく、金色の瞳に本来の輝きが戻って来た。それから、えへへと嬉しそうに微笑んで「おやすみ、八戒」と呟くと、静かに眠りに入っていった。
「ナニやってんのお前?」
悟浄が帰宅すると、リビングのソファで八戒が毛布を膝にかけて本を読んでいた。よくよく見ると肘掛けの隣には、枕が置いてある。
「あぁ、お帰りなさい。いやぁ、悟空と一緒に寝るつもりだったんですがねぇ・・・」
見事な寝相ですよ?と自分の寝室を指す。覗いてみると、ベッド丸々いっぱい使って大の字に眠っている悟空の姿があった。
「そういうわけで、僕はここで寝ることにします」
パタンと本を閉じて、ソファに横になる。そんな八戒の様子を見て、ハイライトに火を点け、煙を吐き出しながら悟浄が呟いた。
「今度悟空が来るまでに、蒲団一式必要だな」
その呟きを聞いて、不思議そうな表情で悟浄を見上げ、僅かばかり頭を起こした。
「・・・・・・。良いんですか?」
今晩のことは八戒の我侭だ。自分でそう感じていたので、今後もこの家主が許すとは思っていなかったのである。
ぷはあ、と最後の一服を終わらせ、灰皿に煙草を押し付ける。
「だって・・・。あのサルがあんな顔するんなら、それなりの理由があるんだろ?」
解かっていたのか・・・。
相変わらずの慧眼ぶりにただただ感心してしまい、それと同時に自分のあの時の人選は間違っていなかったのだと嬉しくなった。
くすくすと、笑い始めた八戒を怪訝な顔で見下ろす。理由は分からないが、不快になる笑い方ではないことに、まあ良いか。と思い直して、ソファに入りきらない足に視線を移した。
「ところで、なんなら一緒に寝る?」
「遠慮しておきます。僕と貴方の身長じゃ、ベッドが狭すぎますから」
再びおやすみなさいと寝の体制に入った八戒を見て、悟浄は電気を消すと自分の寝室へ入っていった。
救われたもの同士、それぞれの夜が更けて行く。 |