芦川美鶴が数ヶ月過ごしたこの土地から離れるその日、宮原祐太郎は1人、彼の見送りに来ていた。 あれだけクラスの話題と人気をかっさらっていった芦川にしては、寂しい見送りだとは思うが、これは、芦川本人が望んだことだったのだろうと思う。多分引っ越すこと自体、芦川は祐太郎にしか打ち明けていなかっただろうから。 「数ヶ月の付き合いだったけど、楽しかったよ」 カテイノジジョウなら仕方ないよな、と続けた祐太郎に向かいに立つ芦川は、ふっと唇の端をあげた。芦川の笑顔。 この大人びた転校生の、年相応の表情というものを誰か見たことはあっただろうか?。ふ、と祐太郎は思う。多分、一番近くに居たであろう、自分が見たことがないのだから、誰もいないだろうが。 「宮原、数ヶ月だったけど・・・・・」 そう言って、差し出した右手を笑顔で握り返す。転校初日に「よろしく」と差し出されたときと同じく、芦川の右手は白く、冷たく、無愛想だった。 その時、ふうわりと風が2人の間を通り過ぎる。 「え?、何?」 芦川が、何か呪文のようなものを呟いた気がした。 「ヴェスタ・エスタ・ホリシア・・・」 視線を上げて、芦川を改めて見返し、あれ?と思う。 まるで今までの風景が、デジャヴか夢の中だったように我に返ったような感覚。 芦川って、こんな奴だったかな? もっとクールで、自分に自信を持った表情をしていた気がしたんだけど・・・。 改めて見返す友人の顔つきが今までとは違って見えたのだ。どこが?、と訊かれると、答えに困ってしまうのだが、確かに。そんなことを思っていると、かちりと芦川の色素の薄い瞳とぶつかった。 「宮原、この言葉、どんな意味か分かるか?」 「ゴメン、聞いたことないや。塾では習ってないと思うよ?」 外国語らしいけれど、英語の響きじゃない、馴染みのないその言葉に正直に返すと、芦川がまた笑った。 今度は寂しそうな、それでいて、懐かし気な優しい表情で。 「そうだな。あれは、お前の声じゃない」 この表情も初めて見た。 それは、まるで今までのアシカワミツルが居なくなって、別のアシカワミツルと対峙している様な違和感。 それを何とか拭い去ろうと声をかける前に、アシカワは叔母さんに呼ばれて親戚の待つ車に向かって歩いていく。。 最後に一度だけチラリとこちらを見たが、そのまま自動車は走り去ってしまった。違和感と祐太郎をその場所に置いたまま。 それが、芦川美鶴との、あっけない別れ。そのおかげで、祐太郎の中に「芦川美鶴」という人物と不思議な呪文はしっかりと残ったのだった。 |
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