梅雨時には、珍しい晴天の日。
今日なら、天の川も見られるかもしれない。そう思いつつぼんやりと沖田は空を見上げた。
この縁側に面した中庭には、少し前から近藤が用意した笹が立てられている。そこに願い事を書いた短冊を吊るすと願いが叶うらしい。
現実的な沖田だが、イヴェント好きな近藤の発案に乗るのは嫌いじゃない。何より、あの人がとても楽しそうな顔をするから。
「相変わらず、センチメンタルなお人だァ」
そんなわけで、当然副長の座を狙った沖田の短冊も吊るされている。むしろやるからには1番を目指すので、わざわざ屋根に上って天辺に吊るしてやった。
でも、副長の座は星に願わなくとも、自分の力で奪うつもりなので、はなからお星さまへは期待をしていない。
あれは、自分の力で奪ってこそ、嬉さもひとしおなのだ。悔しそうな奴の姿を想像するだけで、頬の筋肉が緩む。
それに。
願い事はあるのだが、多分それは叶わないものなので。
ふうわりと、優しい風に頬を撫ぜられ、総悟の意識が浮上する。
「おはよう、そーちゃん」
彼を『そーちゃん』と呼ぶ人間は、もうこの世にはいない。仮に誰かがそう呼んだとしたら総悟自身が許さない。
総悟にとっては特別な呼び方だから。
そして、この声を総悟が忘れることもない。
瞼を上げ、視線をその声のする方へ向ければ、果たして、そこには思い描いたままの姿で彼女が立っていた。
「あ・・・ねうえ・・・?」
「来ちゃった」
いたずらっぽく笑う彼女は、間違いなくミツバであるのだが、それを認められない総悟がいる。
あの時、彼女を見取ったのは自分なので。
そんな総悟に視線を合わせ、ミツバはすっと腰を下ろした。
「せめて夢でも」
せめて夢でも、逢えますように。
「そう願ってくれたのは、そーちゃんじゃなかった?」
「姉上・・・」
「だから、逢いに、来たの」
ミツバがふうわりと笑った。
「そーちゃん。願いごとって、強く想えば案外叶うものなのよ?」
いつかのこの日、近藤が話してくれた物語。
好きな人と、1年に1度しか逢えなくなってしまった男女の話。
あの時、なんて贅沢な奴らなんだと思った。
1年に1度でも逢えるなら良いじゃないか、死んでしまった相手とはどう頑張ったって逢えないんだから。
「姉上は」
何度か言いあぐね、ようやく総悟が絞り出した言葉にミツバは問いかけるような表情で小首をかしげる。
「ヤツの所に、行くと思ってました」
だんだんと尻つぼみになる言葉は最後の『今日なら・・・。』という所まで行くと呟くような声音になってしまった。
「ヤツって十四郎さんのこと?」
声に出すのも癪だったので、頷くだけで返した。
どう頑張っても、ミツバの想い人は自分ではなくあの瞳孔の開いた気に入らない男で、恋人たちの記念日ならそちらを優先させてしまっても、弟である自分は口を出せない。
そんなエゴの塊のような自分が情けなくて姉の視線に合わせられずうつむいていると、彼女の細い指がポンポンと枯れ草色の猫っ毛頭を軽く叩いた。
「確かに、十四郎さんのことは好きよ」
ぽんぽん。幼い頃から、慣れ親しんだ彼女の仕草。いつも不貞腐れていると元気付けるように叩いてくれた。懐かしいそれに、総悟は涙腺が緩みそうになる。
彼女は、そのまま『だけど』と言葉を続けた。
「同じくらいそーちゃんのことも、近藤さんのことも大好きなの」
体の弱い自分にとってはまぶしい存在だった彼ら。
もしも。
自分が男だったら、彼らの中に入れただろうか。と時折思わなくもなかったが、そんなこと小さなことなんだと思えるくらい、彼らは彼女を大事にしてくれた。
あの時、彼らに出逢えて本当に幸せだったと言ったのは、強がりでもなんでもなく本心だ。
弾かれるように顔を上げた総悟にそれにね、と笑顔を向ける。
「私があの人の所に出たら、あの人懐かしがる前に卒倒しちゃうわ」
「あぁ。あの人、ビビリですもんね」
顔を見合わせて、似たような顔立ちの2人が同じ笑みを浮かべた。
元々、白しかなかった世界が、だんだんと光の中に溶け込むようにぼやけ始めた。総悟の覚醒が近いのだろう。
短い逢瀬はそろそろ終わる。
ミツバは、自分より大きくなった弟をぎゅっと抱きしめた。
武州を出る頃は、まだ少年の面影が強く残っていたのに、本当に大きくなったと思う。
「そーちゃん、おめでとう」
「姉上」
「大好きよ」
最後の言葉は、光の中に溶けて行った。
軽い衝撃を受け、総悟の意識がまぶしい世界に浮上した。
「いい加減起きろ、いつまで惰眠をむさぼってやがる」
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