ちょっと怖い話
  悟空は困惑していた。
 もう、なんと言って言いか分からず、ただただ、目の前にある紅い髪を見つめるだけだった。
 初めは冗談だと思っていたのだ、悟浄が性質の悪い冗談で自分を騙そうとしているのだろう・・・と。しかし、悟浄ののへこみ振りを見ると、あながち冗談ではないような気がしてきた。
 でも、やっぱり信じられない、と思う。この、美味しいおやつを用意してくれた八戒に限ってそんなことはないだろう。と・・・。
 そもそものきっかけは、2週間ほど前に遡る。



 暗い森の中を通って、拓けた場所に悟浄の家がある。そこにはオレンジ色の光が灯り、この家を「帰って寝る場所」から「生活をする場所」に変えていた。その暖かい光に悟浄はそこで待っている同居人をイメージして安堵しながらも、思わず眉間に皺が寄る。今日こそは彼に言おうと、心に決めて扉を開けた。
「お帰りなさい、悟浄」
 ちょうど、留守を預かっていた青年が手元の本に栞を挟むところだった。伏せていた碧の瞳が真っ直ぐに悟浄に向かう。線の細い彼のシルエットと柔らかな笑顔、それから暖かな室内の光が伴って、春ののどかさを連想させた。
 悟浄は夜の肌寒さをカバーするのに羽織っていたシャツをリビングの椅子の背もたれに引っ掛け、「ただいま」と呟く。ごく一般的な挨拶と今までの生活とはまったく無縁だったため、この簡単な4文字の言葉を返すのに、今でも照れが生じて幾分か小声になってしまう。つい、逸らしてしまった紅い瞳をまた、自分に笑顔を向けている青年に戻した。
「八戒、まだ起きてたの?」
「えぇ、読んでいた本がとても面白くて、つい夢中になっちゃいました。ちょうど今区切りがついたところです」
八戒は、右手に持っているハードカバーの書物を掲げて見せた。
 悟浄の眉間に扉を開ける前に生じていた皺が戻ってきてしまった。
 まただ。
 昨日は、今朝のゴミ出し用に新聞を括っておくのを忘れたから。
 一昨日は、アイロンがけの必要な衣類が溜まっていたのを一気にやっていたから。
 その前日も、そのまた前日も更に前日も。八戒は何かと理由をつけて、悟浄が帰宅するのを確認するまで眠ろうとはしなかった。
 八戒は偶然を装ってはいるが、ここまで偶然が続けばいくら悟浄でも故意的に自分の帰宅を待って起きているだと気付く。
 これではいけない。と思う。何がいけないのかは分からないがいけない、と思う。
「あのさあ、八戒」
「はい?」
「別にお前が好きで起きてるンならいーんだけど・・・」
ポツポツと話し始める悟浄に八戒は「何が言いたいのだ?」と言わんばかりの怪訝な表情で見返した。2・3度紅い視線を宙に泳がせ、ハイライトを取り出して火を点けたところで、ようやく悟浄は次の言葉を発した。
「もしも、俺のこと待ってて起きてるんなら、先に寝てて良いから」
「え?やだなあ、偶然ですよ」
意外そうに瞳を見開き八戒が即答した。以前にもこんな会話をしたことがある。あの時は、ここで悟浄の方が折れてしまったのだ。ここまでは、予想された会話だった。
「いや、偶然でもさ。やっぱり俺が気にするんだよ。オネーチャンといても、八戒起きてるんじゃないかな?俺が帰らなきゃ寝ないなあいつ、とか考えちゃったりするのイヤじゃん」
 帰り道、考えていた言い訳を一気に出して、内心そろそろと八戒の様子を窺う。この言い訳も通らなかったら、再度考えなければならない。
「そんなこと気にしなければ良いのに・・・」
「だから、俺が気にするんだって。最近、気になっちゃって女の子とも遊べねーし、カードにも気持ちが行かなくて負けちまうんだぜ。かわいそーだろ?俺」
一瞬、何かを考えるように碧の瞳を伏せ再び視線を上げると、ふわり笑って悟浄の顔を見返した。
「遊べないのは、ちょっと可哀想ですね。では、可哀想な悟浄のために、1時すぎたら休むことにします」
休む時刻さえ分かっていれば、気にしないで遊べますか?
その答えに満足したように、悟浄は彼独特の笑みを浮かべ満足そうに最後の一服を吸った。短くなった吸いさしを灰皿に押し付けた。
「約束したからな、明日からしばらくチェックするからな」
そう言いおいて、就寝の挨拶と共に自分の寝室に入っていった。
 残された八戒は先ほどと同じ笑顔のまま挨拶を返し、たった今閉じられたドアを眺めていた。
 居候が家主より先に休むなど出来ないと思っていたが、やはり自分の薄っぺらな芝居では読まれてしまっていたらしい。弱い明かりの下で読書をしていたため、かなり負担をかけさせてしまった左眼を軽く指で押さえながら、暖かい気持ちになった。
 悟浄らしい気遣いに感謝し、くすくすと笑いながら本を片手に寝室へのドアを開いた。
 「ちょっとした内容紹介」はお読みになりました?
 ほのぼのと見せかけてギャグです(不発の可能性大)。
 ちなみに山崎、ホラーは嫌いです。
(2003.1.24UP)