特別な日常
 多分、その誘いに乗ったのは意図的だったのだろうと思う。
 そして、そのことを前日の夜まで、この同居人に告げなかったのも。
 ―――来年、覚悟していて下さいね―――
 同居して初めての誕生日、八戒が俺にこう言った。それまで、誕生日を祝うことも祝ってもらうこともあまりなかった俺は、正直嬉しくないと言ったら嘘になるかも知れないが、それよりも戸惑いの方が勝ってしまった。
 今まで、街の女たちにプレゼントを貰ったりした事はあるのだが、同じ屋根の下に住む者に祝ってもらうことはまったくなかったのだから、どう反応して良いか正直分からない。まさに未知との遭遇だった。
 一日一日その日が近付いて来るのを感じながら、未だにどうして良いか分からなかった俺に、博打仲間が声をかけてきた。
 そして、
 俺はその誘いを受けた。





 「八戒、俺明日の夜出掛けるから」
悟浄が珍しく僕の起きている時刻に帰ってきた。
 ちょうど、読んでいた本も区切りの良いところだったので、栞を挟み就寝の挨拶をして退室しようとした時、僕の背中に投げられたあと5分程度で今日になってしまう明日の予定。その悟浄の言葉に僕は思わずノブをひねる手を止めて、ハイライトを燻らす彼の背中に視線を向けた。
「それはまた・・・。急な話ですね」
ハイライトの煙がユラユラと蜃気楼のように揺れ、天井に向かって立ち昇っていく。
「ん?。あぁ、2つ隣の町でカジノが明日オープンするらしいんだと。仲間にちょっと行ってみようかって誘われたのよ。明日、朝飯食ったら出掛けるから」
僕は、その昇って行く煙を視線で追いかけながら、何も気付かなかったように普段通りの答えを返した。
「そうですか・・・。分かりました、沢山稼いで来て下さいね」
彼の紅い髪に笑顔を向けて再び就寝の挨拶をし直し、ドアを閉める。明るい部屋からいきなり暗い廊下に出てきて、目がまだ慣れないのを言い訳に、今出て来たばかりのドアに背中を預ける。暗い闇を見据え、大きく深呼吸をした。
 明日の予定はすでに以前から決まっていたことだったのだろう。僕も買い物のついでに町の人たちから、カジノができることを聞いていたくらいだから、賭博場に通っている悟浄の耳に入らない筈なんてないし、悟浄ほどの腕があれば、誘われない筈もない。
 それに。
 今晩帰ってきてから、ずっと僕の視線を避けていたこと。
 悟浄は、斜に構えているつもりでも、根本的なところで優しいから、嘘をつくのは正直得意じゃない。それを知っていて騙される振りする僕も僕だけれども。
 明日、街には出掛けないと思っていた僕が甘かったのかもしれない。
 ―――来年、覚悟していて下さいね―――
 去年の今日、そう宣言したのをきっと悟浄は覚えている。覚えているから、ますます僕の視線を避けてしまったのだろう。
「約束、破っちゃいますね・・・」
 また一つ、小さくため息をついて僕は、自室に向かって歩き出した。





 ドアの閉まる音がやけに大きく響いた。
 それから、暫く足音が聞こえないと言うことは、まだ八戒はこのドアの向こうにいるということなのだろう。
 ハイライトの煙と一緒に大きく息を吐く。
 自分以外のことではかなりマメな奴だから、きっと何日か前から、今日の準備をしていただろう。もしかしたら、バカ猿や生臭ボーズもうちに呼んだのかもしれない。さっき何も訊かず、何も気付かないように返事をしてくれた八戒に俺は甘えてしまった。
 八戒の足音が遠ざかって行き、ドアの開く音が耳に入ってくる。
「悪りィな・・・」
 閉められたドアに向かって、声にならない呟きを唇に乗せた。
 何週間か前、俺は俺のワガママで八戒とアイツのねーちゃんとの2人分の誕生日を祝わせた。それなのに、俺の踏ん切りの悪さで俺の誕生日は祝わせないって言うのはフェアじゃないだろう。
 何も言わないで許してくれたアイツの優しさに甘えて、俺は今日一日を逃げるつもりだった。