寒空の下で
 1日1日、昼の時間が短くなっていく。それと比例するように、羽織るものが欲しくなる日が多くなった。
 二人が一緒に暮らし始めてから、初めての晩秋を迎える。

 その日、食料の買い置きが無くなってきたというので八戒が買出しに行くという。
「それ、着て行けよ」
 出掛ける準備をしている青年に、悟浄が布の塊を投げて寄越した。空中で弧を描き八戒の手に渡ったブルゾンからは悟浄と同じハイライトの香りがする。確かに今日外に出るのなら、上に何か羽織って行かなければ風邪をひいてしまいそうだ。
 まだ暖かい頃に一緒に暮らすようになったため、八戒が持ってきた衣類は薄手のシャツしかなかった。背丈が同じくらいだから大丈夫だろう、悟浄の厚意を有難く受け取り「汚さないようにしますね」と礼を言ってから袖を通した。
 二人の間に少し間が空いた後、お互い別々の表情になった。借りた方は困ったような笑顔、貸した方は珍しい物でも見るようにちょっと目を眇めた。
 まさか、自分と相手の胴回りがこんなに違うとは思わなかった。
 確かに着丈は丁度良いくらいなのだが、いかんせん、肩が落ちていた。そのため、袖口からは八戒の長い指先が第二関節辺りからしか見えない。身ごろの幅も少し広いようで、全体的に「もこもこ」という形容詞が似合いそうだ。
「お前・・・。ちゃんとメシ食ってる?」
「いつも見ているでしょう?僕が食事を残したことありますか?」
そんな勿体無い。と続けながら、右手を左の袖口に当てる。しかし、何かに気付いたようにそのままその手を外し「すみません」と呟いた。
「別にそれ高いモンじゃねーよ?」
 今度は悟浄の手が八戒の左の袖口をつかむ。そのままくるりと手首の辺りまで折り返し、反対の手も同じようにしてしまった。
「とりあえずそれで我慢してよ。見栄えより健康だろ?」
 自分も部屋からジャケットを取ってきてそれを羽織ながら、扉を開ける。そんな悟浄の様子に碧の瞳が軽く見開かれた。
「あれ?今日は寒いから留守番とか言ってませんでした?」
「買い物があったのを思い出した。付き合うよ」
そんなことを言いながら、肌寒い森の小道を歩いて行った。

「八戒、悪いけど俺の買い物先に付き合ってくんねぇ?」
 街に着いた途端、悟浄が交渉して来る。
「良いですけど・・・。僕も付き合うんですか?」
2人でそれぞれの用事を済ませたほうが早いのではないか?そう思っていたのだが、どうやら悟浄の方は同意見ではないらしい。
「そ、お前もいなくちゃダメ」
「そんなにかさばるものなんですか?」
「まあ・・・。かさばるって言えばかさばるかな?とにかく付き合ってよ」
悟浄がこういう態度になる時はこちらが何と言っても引かない。何となくそれが分かるので付き合うことにした。それに、食材は店じまいが近いほうが安くなる。
「・・・。分かりました。何処に行くんですか?」
「ここ」
 悟浄が視線を目の前の店に移す。そこは紳士もののブティックだった。シンプルなデザインの商品がショウウィンドゥを飾っている。悟浄なら、もう少し派手めなものの方が似合うのではないか?そう思いながらも、扉の奥に消えていった悟浄の後を追い店内に入る。
 店内の商品は、黒・白・グレーなどモノトーンを意識したものがメインになっていた。店の奥で、コートを物色している後ろ姿が目に入る。紅い髪を目指して歩いていくと、不意に声を掛けられた。
「これ、どうよ?」
悟浄が手にしていたものは、ロングコートだった。白という色と派手な装飾のないデザインのお陰で重圧感は感じられない。それを背後から覗き込みながら、素直な感想を述べた。
「シンプルで良いとは思いますが・・・。あなたに似合いますかねえ?」
「じゃ。はい」
「はい?」
「着てみてよ」
ロングコートを手渡され、出掛ける前のひと悶着が思い出されて少しばかり不機嫌になった。自分と彼の体格が、あんなにも違うことは分かっているではないか。
 ものぐさせずに、自分で合わせれば良いものを・・・。そう思いながらも、借り物のブルゾンを脱いで手渡されたコートに袖を通す。
 素材のせいだろうか、着た感じも動き易い。それでいて、保温というコートとしての役割はしっかりしていている。試着した方もそれを眺めている方も、満足げな笑顔になった。
「何だ。似合うじゃん」
「そうですか?とても着易いですよ。僕ならこれは「買い」の商品ですね」
「じゃあ、それ買っといて」
そう言って、キャッシャーに向かっていく。言われた方は、きょとんとして言われたことをもう一度思い出してから「ちょっと待ってください」と、ワンテンポ遅れてその後を追う。
「そんないい加減な買い方で良いんですか?さっき、僕と悟浄とでは体格が違うの分かったじゃないですか」
後を追いながら言い募る。悟浄は当然という顔を八戒に向けた。
「だって、それお前ンだもん」
それともナニ?お前、このモコモコ君気に入っていたの?と悪戯っぽい目を向けて、にやりと笑った。八戒はそこで初めて、悟浄の本日の買い物が何であったかを理解する。
「僕のでしたら、こんな良いものでなくても・・・。それこそ古着屋で売っているようなもので十分です」
「古着はすぐだめになるぞ」
「でしたら、日を改めて安売りしているお店でも・・・」
「ダメ。今日風邪ひかれたら、それに加えて医療費かさむじゃん」
そんな押し問答をしている間に、悟浄は店員に向かって「今着ていくから」と着ているコートを指す。
 命じられた店員が笑顔でタグを外している段階で、八戒の方が折れてしまった。ここまできて断ってしまったら、店のほうにも迷惑がかかる。
 出かける時に着ていたブルゾンを、袋に入れてもらってから店を出る。タグを外してもらう時に、困ったような笑顔を悟浄に向けて「すみません」といったまま黙ってしまった八戒の顔を窺う。
「ナニ?そんなに気に入らない?」
「買い」の商品って言ってたのになあ。と、煙草取り出し火を点けないままもてあそぶ。その隣を歩いている青年からようやく「違うんです」という返事が返ってきた。
「このコートが気に入らないわけじゃなくて、僕には勿体無い買い物だと思うんです」
相変わらず、八戒の視線は少し前方の地面に向いたままだ。手の中でまわしていた煙草にようやく火を点けて、一息大きく吸ってから「なんで?」と問い返した。吐き出した煙が、濁った空の色と同化する。
「だって、居候の身には高価なものじゃないですか」
「ん〜、まあなぁ」
「でしたら・・・」
「確かに居候には勿体無いかも知れないけど、それとお前のコートと何の関係があんの?」
中々噛み合わない会話に、八戒がもどかしげに顔を上げて隣の男の顔を窺う。その碧の瞳を受け止めて、悟浄が先を続けた。
「お前、居候じゃなくて同居人だろ?」
「え?」
「同居人が、自分の服を買うのに、何か問題あった?」
ようやく、碧の瞳に自分の姿が映ったことに満足して重ねて問い返す。問われた方には、困惑の表情が見えている。
「悟浄・・・。僕、同居人と言えるほどあなたと対等ではないですよ?」
「そう?」
「仕事だってしていないし・・・」
「してるじゃん。三蔵が持ってきためんどくせー仕事」
「あれは、あなたも一緒にしているでしょう?それに、僕が言っているのは、金銭を稼ぐ仕事のことです」
「でも、家のこと色々してくれてるでしょ?あれは俺にはできない」
まあ、適材適所ってヤツ?と、笑顔を八戒に向ける。その笑顔に一瞬困ったような表情をした八戒だが、つられたようにクスクスと笑う。
「同居人が風邪ひいたら、俺、その看病も含めて、なんでも1人で全部やらなきゃいけないじゃん。これは、生活していく上で当然の買い物だと思わない?」
「・・・・・。そうですね」
 とりあえず、悟浄の厚意は有難く受け取っておこう。そう判断して、隣を歩く同居人と一緒に食材を求めて市場に向かう。
 灰色の空の下、白いコートの裾がふわりと広がった。